伊勢神戸の郷愁風景

三重県鈴鹿市【宿場町・城下町】 地図 
 
町並度  5 非俗化度 8  −城下内に発展した伊勢街道の宿駅−




 鈴鹿市は三重県の主要な都市のひとつであるが、その人口規模の割には際立った中心市街地が今ひとつはっきりしない不思議な町でもある。
 ただ政治的中心は現在市役所のある神戸地区で、神戸城の城下町に源を発する歴史深いところである。
神戸八丁目の町並




神戸八丁目の町並

 伊勢国河曲郡に所属しており、神戸藩が存在しその城下町であった。藩主の神戸氏は伊勢街道を城下に通して町の繁栄を図った。また元亀2(1571)年織田信長による侵攻後、三男信孝が城主となる。中世から市が開かれていた城下で最も古い町であった十日市町に対して楽市楽座制を許可し、城の改築を行った。このとき既に城下町としての基盤が完成されている。
 関ヶ原役後に城は破却されたが享保17(1732)に本多氏の入部に伴い再築され、十日町以下十ヶ町の町人地を城を取囲む武家地を整備した。
 伊勢街道は江戸中期以降伊勢参りの客が急増したこともあり基幹街道並の往来数で、宿駅神戸宿が成立している。旅籠は主に常磐町に設けられていた。特に18世紀末頃からはお蔭参りという爆発的な参拝客の増加を見、町は大変繁盛した。また参勤交代の藩主の通行もあったため本陣も備えられた本格的な宿場町であった。本陣は十日町に置かれていたという。
 現在は町並に城下町としての遺構は淡いが、伊勢街道沿いに伝統的な家屋が多く残り宿場町・街道町としての面影は濃厚である。宿駅の中心付近で六郷川を渡り、当時から橋が架けられていた。大橋といい現在でも橋の規模には不似合いなほど大型の親柱が立っている。ここを境に北側が常盤町、南側が十日町界隈であった。今では古い町並としては町の中心であり本陣もあった旧十日町付近よりも、旧常盤町付近の方が色濃い。特に橋の北詰付近とゆるやかな坂を上った北端付近では連続性が感じられる。後者では旅館の看板を掲げた建物が美しい格子を見せていた。飯盛女を配した旅籠も多かったというが、そんな名残も感じさせるような外観である。この付近は城下の入口であり、番所が設けられ通行人を監視していたという。
 見たところ町並として保存しようという動きは感じられないが、市街地に残存している点でその価値は十分見出せる。






神戸八丁目の町並 神戸二丁目の町並



 
神戸二丁目の町並

訪問日:2012.11.04 TOP 町並INDEX