大刀洗の郷愁風景

福岡県大刀洗町【商業町】 地図 
 
町並度 4 非俗化度 8  −中世の本郷城近くに展開する町並−


  大刀洗町は筑後地方の北部に位置し、高速道が町の北部を横断し近くに甘木ICがあり交通の便はよい。鉄道も西日本鉄道甘木線、旧国鉄甘木線の甘木鉄道が走るも、町域が狭いためか目的がないと通過してしまうようなところにある。南北朝期にしばしば戦場となったところで、合戦時に川で血刀を洗ったという伝説にちなんで大刀洗川と名づけられ、これが町名の由来となっている。
 現在は田園地帯に小さな市街地が散在する、戦乱に由来するといったこととは無縁の穏やかな風情の町である。いくつかの中枢的集落があるが歴史が古いのは東部の本郷地区で、戦国期には三原氏による本郷城が構えられていた。付近は低平な土地であるため外堀・内堀をめぐらせた平城で、南北朝期から室町期にかけて次第に筑後北部の有力な国人となり、筑後守護代に命じられた。なお天正14(1586)年に三原紹心が島津氏の大軍に包囲されて討死にし、本郷城は城としての役目を終えた。
 


 
 大刀洗(本郷)の町並


 

 
 

 国道322号から横道に入ると、道幅や屈曲する線形に昔ながらの街路の趣が増し、塀に囲われた屋敷や商家建築などが散見される町並が現れてくる。煉瓦塀で門柱のある旧家を複数目にしたが、この地域独特のものか、又は一時の流行りであったか。漆喰に塗り込められた妻入りの堂々とした構えのものもあり、古い町並として見応えある一角もあった。
 本郷城亡き後の町の情勢について今一つ詳細な情報が少ないが、今残る町の風景を見る限り有力な商家が街道沿いに立地し、それに伴うように商業が発達し家々が建ち並んだといった様子が推測される。何も基盤がないところに急に商業町が形成されることはないだろうから、城下町とまでは云わないまでも町場としての基礎が形成されていたのだろう。


 
 

訪問日:2021.01.03 TOP 町並INDEX