立川町の郷愁風景

鳥取市立川町<城下の商業地> 地図
 
町並度 4 非俗化度 8  −鳥取城下の東の玄関として栄えた町−





 
 藩政時代に因幡国の中心として建設された池田氏による鳥取城下町が現在の県都鳥取の基盤である。現在の鳥取市役所の西側付近に町人町を置き、その周囲に武家を散在させた。残念ながら市街地は大火や地震の被害により潰滅し、町並として古の姿を留めている箇所はほとんど残っていない。その中にあってこの立川町界隈は、町家建築がある程度のまとまりを持って見られる貴重な地区である。
 県道に沿う二棟の伝統的町家建築がこの町並のシンボルである。
周囲には土蔵や板壁の路地などが展開している。
 

 
 この付近は城下町の南東端にあって、鳥取城下四八町の一つに数えられていて、町人町の一部であった。北東に山を背負い、南を川が流れ、市街地としてはのどかで静かな雰囲気を保っている地区である。藩主池田家の国替えの時に備前岡山から移された寺院も山麓に面して鎮座している。
 城下町の端部にあったことから、郊外の各地からの街道もこの付近を終点とし、町端と呼ばれる商業地として発達していた。明治以降も市街の入口として最初に接する商業地であり、『鳥取案内』では「東方立川大橋より左折すれば岩井宿を経て但馬に通じ、大橋より直進すれば水源雨滝に至る街道として、山村より薪炭を産出するを以て運搬の人馬亦盛なり」と紹介され、当時の賑わいを証明している。
 やや広い県道沿いに残る二棟の平入り町家がこの町並を象徴する風景だ。一棟は山陰らしい赤瓦を葺き、他は黒ずんだ渋い瓦で、好対照だ。奥行も深く裏手にまわっても板壁や土蔵といった路地風景をこの邸宅自身が形成していて、かつての商業町を匂わせる一角である。
 ここから県道より山側に伸びる一本道に沿い、古い町並の雰囲気を持った家並が続いている。伝統的な建物は決して多くはないが、城下町鳥取を感じることの出来る貴重な町並だ。





訪問日:2006.07.30 TOP 町並INDEX