多度津の郷愁風景

香川県多度津町<港町> 地図
 町並度 6 非俗化度 9 −重要な藩港として、また琴平参りの港として栄えた−
 

 多度津町は町の規模の割には比較的よく知られている町と言えよう。JR予讃・土讃本線の分岐駅であることや、福山などを結ぶ航路も発着し、交通の要地である。
京町にある旧家の佇まい




土蔵も多く見られる路地風景  仲の町にある寄棟風の商家。ここは城下町時代から開けていた一角で、琴平の参道沿いでもあったことから繁栄を極めていました。




 京町の町並。この辺りがかつての問屋街であったようです。
西浜町の町並。港に面して発達した地区です。


 この町の歴史は古く、戦国期の城下町に由来するという。この頃、ここを本拠地とした香川氏は天霧城を築き、西讃岐を統治していた。以後藩政時代になっても1694(元禄7)に多度津藩が成立し、地域の政治の中枢であった。
 藩主は当初丸亀城に起居していたが、1827(文政10)に幕府に陣屋の構築を許され、市街北部の「家中」に陣屋町を形成した。
 藩は1834(天保5)年に浜問屋からの進言を容れて多度津港の構築に着手する。4年間の難工事を経て完成した港は讃岐屈指の良港として、以後の多度津を支えることとなる。讃岐産の砂糖や綿を積んで日本海経由で北海道まで廻航し、帰路は干鰯や肥料を積んで売りさばいた。干鰯問屋は最盛期には少なくとも60軒はあったといわれる。
 また、ここは金毘羅参りの港ともなり、参道もここを起点としていたため、船宿や旅籠も建ち並び、港町としての隆盛を極めることとなった。
 昔からの古い町は多度津駅より西側に歩いて5分、細い流れにかかる橋を渡った先で、かつての港地区である。にわかに白壁土蔵や、中二階の古びた家々が目につくようになる。しかもそれらの多くは本瓦を葺いており、歴史の重みを感じさせる町並である。また、虫籠窓が多くの旧家に見られた一方、袖壁や卯建、大戸などは確認できなかった。しかし江戸期にさかのぼるものも含まれているようで、古い町並として全く話題にすら上らないが、密やかに息づいてきた家並なのだろう。見たところ無住の家はほとんどないようで、古い構えのまま生活されているようだ。
 町の一角に高さ2mほどもある大きな道標がある。その一つには、「右はしくら道・すぐ金刀比羅道・すぐ舟場」とあった。まさにこの辺りが各地より海路多度津に着き、金毘羅を目指した参詣客の往来した一角だったのだろう。明治に入ると、四国で初の鉄道がここを起点に琴平、丸亀へと走った。今では瀬戸大橋で、さらには空路で人や物資がこの地を踏む時代となったが、かつての海の玄関口としての面持ちは、いつまでも風化させず守っていってほしいと願わずにはいられない。

 

訪問日:2003.02.02 TOP 町並INDEX