本町の町並 | |
多治見を含む東濃地方を訪ねていると陶都という言葉をしばしば眼にする。多治見・土岐・瑞浪市付近は軒並焼物の町として知られるところだ。良質の粘土に恵まれていたことから古くは奈良期より陶器の生産が行われ、特に茶の愛好家に珍重されていた。特に江戸後期には一帯の焼物の集散地となり、美濃焼物として全国に知られた。 また交通の面でも中山道の大井宿から南にわかれ、多治見を通過して尾張に入る脇往還があり、この下街道と呼ばれた道は伊勢参りをする人々などを中心に多くの通行があった。この往来もあり多治見は商業が集積し東濃の中心地として揺ぎない地位を構築した。 中央本線の多治見駅前付近がそのまま古くからの町の中心であるが、商店街化され伝統的な佇まいは少なくなっていた。古びた看板を掲げた店舗も見られたが多くは現代風に更新された姿である。この付近の繁栄の頂点は明治の頃で、陶磁器をはじめ煉瓦などの窯業の事業者は800余、従業員は1万を超えた。本町通を中心に陶磁器の商家が建ちならぶ一大商業都市が形成されていたという。 一部には広い庭を有した豪壮な邸宅も見受けられ、僅かながらその名残を窺い知ることができる。 多治見の市街地では、この本町界隈のほか北西に少し外れた池田町にもわずかばかりの古い町並が残っている。ここは下街道において小さいながらも宿駅が設けられたところであり、散在的ではあるが伝統的な町家建築やそれに従える土蔵がちらほらと見られ、一部には格式ある間口の広く、二階の立上りも高い商家の建物も見られた。 本町界隈・池田町ともに残っている建物は古いものでも明治以降に建築されたもののようだ。 |
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訪問日:2009.07.20 | TOP | 町並INDEX |
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