吉見・嘉祥寺の郷愁風景

大阪府田尻町<漁村・農村集落> 地図
町並度 6 非俗化度 10 −本瓦葺の家々が密度濃く残る独特の町並−
 




 
吉見の町並。自然体の路地が魅力的でした。




本瓦を葺き、板塀に囲われた家々が連なります。




嘉祥寺の造り酒屋 嘉祥寺の町並
 

 田尻町は大阪府和泉地方南部に泉佐野市と泉南市に挟まれて位置しており、大阪湾に面する面積の小さい町である。しかし海を挟んで関西交際空港の人工島があり、その一部をも町域に含んでいる。
 町を東西に南海電鉄が串刺しにしていて、吉見ノ里という駅がある。近年に出来た新駅のような駅名だが、吉見の名は万葉集にも謳われていた。「月もよし風も吉見の松風に昨日もけふもあそびくらしつ」「いでて見よ吉見の里に秋の月沖吹きかへす松風の声」などと。熊野詣での道筋だったからか貴人も含め人の訪れが多かったようで、ここは当時「白砂青松」の景勝地だったのだろう。
 駅前から東西にそれぞれ20分と歩かない内に隣町に達するような小さな町であるが、海岸に近い一帯には独特の町並が残っていた。古い家々はほとんどが丸い本瓦を葺いていて、それが細い路地の両側に連なっている。
 本瓦葺の家は瀬戸内沿岸地域一帯でよく見られ、奈良県にも多いが、ここの密度は私が今まで訪ねた町の中で最も濃かった。平屋の小規模な家から戦後建てられたと思われる家屋も本瓦葺のがある。多くの町では、明治から大正時代までで平板で軽い桟瓦に移行しているのに、ここでは現代にまで本瓦にこだわった町が受継がれていたのだろうか。
 
 ここには古くから吉見村、そして東側に接する嘉祥寺村という半農半漁の集落があった。中でも漁業が盛んで遠く房州などにも出漁する船があったという。しかし、本格的に人口が増加し産業が発展するのは大正期、南海電鉄の駅が設けられて以後であった。大正元年にはわずか1800人余りだった人口は、同9年には3200人余りに急増し、その後紡績産業なども誘致された。農業も玉葱が特産品として増産された。
 そうした歴史から、現在眼にするこの町並は大正中期以降に形成されたものと思われるが、本瓦のため重みがある。それは路地のあちこちに長屋門のような厳かな門を従えた大柄な屋敷が見られることによっても、尚一層強調される。それらは、紡績産業で富を蓄えた家々なのか。
 近代的な国際空港に接してこのような町並が残っているというのも、ある意味滑稽ではあるが非常に貴重である。
 

  



訪問日:2005.01.02 TOP 町並INDEX