高畠の郷愁風景

石川県鹿島町<宿場町> 地図 <中能登町>
 
町並度 6 非俗化度 8 −能登街道の主要な宿駅であった−
 


 
能登半島の地勢は北部を東西に走る大きな山塊と、南部の富山県境になっている宝達丘陵に大きく分けられ、その中間の羽咋市から七尾市にかけての半島の幅が狭まった地区は細長い平野部となっている。しかし全体には山がちな地形であるうえに、先端まで100km近くもある大きな半島であるゆえに加賀地方とは異なった文化圏を形成してきた。
 加賀地方から多くの陸路が発達していた。海路は日本海の荒波に遮られることが多く、街道の方が発達していたようだ。外浦路・内浦路・中能登街道(七尾街道)と大きくこの3本があり、総称して能登街道と呼ばれていた。その中で中能登街道の宿駅に指定されていたこの高畠は、現在でも宿場町らしい街村の形態を非常に色濃く残していた。
 中世の荘園に源を発する歴史の古い集落で、能登国鹿島郡に所属し、天宝年間の記録では20種以上の多種多様な商店が発達しており賑やかな町場であったという。短い街道であったため、旅籠屋などの宿泊施設よりもこうした各種商売や休憩施設の方が多かったものと思われる。
 この高畠の町は細長い中能登の平野部の南側、宝達丘陵の北麓に細長く立地していて、七尾線は北側を離れて建設され、国道も旧街道を潰さなかったため、家並は保存されることとなった。小さな街道にしてはその規模は大きく2km近くにも及び、やはり宿地としてだけでなく在郷商業町的な色合いも濃かったのだろう。
緩やかにカーブを連ねる能登街道沿いの町並


見事な真壁を街路に向ける妻入りの町家








 
  
 
家並は北陸地方らしい姿を見せていた。平入りの中二階または本二階の建物をはじめ、妻入りも半数近く存在し、街路に面したその妻部には梁を壁の表面に出す真壁が基本であった。大きな町家ではその梁組もなかなか壮観で、北国らしい町の景観だ。一方漆喰の塗屋造りは全く見ることはなかった。屋根瓦は黒味の強い赤褐色で、融雪対策なのだろうか。また雪下し用の鉤付きの瓦も多用されていた。家々の間口は広く土地に余裕のあるさまが伺え、1階正面に施された格子の目は粗かった。江戸時代にまで遡るような古い物は少ないようだったが、地方街道らしい大らかな雰囲気の家並は時折穏やかに曲線を描き、町歩きの楽しさがあった。
 この素朴な町並は、能登半島という観光地の中では地味な位置にあり、俗化されることはないだろう。後は地元の方が保存をどう意識的に行われるかにかかっている。



訪問日:2005.10.09 TOP 町並INDEX