大和高田の郷愁風景

奈良県大和高田市<商業都市> 地図
 
町並度 5 非俗化度 8  −寺内町に発祥する商業の町−


 大和高田市は大和盆地の西部に位置する町で、市域は昭和23年に市制施行以前の高田町当時のままであり、面積の小さい町である。しかし人口は6万数千を数え大阪との結びつきが強く、通勤者も多い。
南本町の町並




伊勢街道沿い(大中南町)の町並★


 古くは市街地の中心にある専立寺の寺内町としての位置付けがあった。また大和盆地を横切る伊勢街道(横大路)沿いに商工業が興り、次第に商業都市として発展を示すようになった。その中心となったのが木綿産業であった。盆地ゆえに用水不足になりがちであったことからも、稲の裏作から次第に綿花を主作とするようになり、それをもとにした繰綿問屋で栄え、「和州綿」というブランドを形作った。また菜種や煙草の栽培も盛んで、菜種油・綿油業も発達した。繁栄は明治期まで続いたようだが、綿花は輸入物の税の撤廃、煙草は政府による専売制の実施、菜種は電灯の普及などにより高田の産業は打撃を受けた。しかしその後紡績業、織物である大和絣などに転換、現ユニチカの大日本紡績の工場も立地していた例が示すように、現在でも繊維産業は当市の基幹産業である。
 古い高田の町は、旧高田川(現在の県道大和高田斑鳩線)の西側の自然堤防上、専立寺門前の寺内町に由来する地区が最も歴史深い。寺の東側、県道との間にある南北の筋は商店街になっている箇所も多いが、所々に往時の古い形式の民家が散見される。
 また、伊勢街道に沿う商家の家並も街路上にある程度まとまって残り、これは当時から高田川を挟んでさらに東へと続いていたようだ。そのあたりの永和町、北片塩町界隈にも切り妻造りで袖壁を従えた旧家が軒を並べていた。東には八木、今井を控えたこの地が、古くから物資の往来が盛んであったことをうかがわせる。




北本町の町並 内本町の町並




内本町の町並


2008.07再訪問時撮影(★:2002.10撮影)
訪問日:2002.10.14
(2008.07.21再取材)
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