上手綱の郷愁風景

茨城県高萩市【武家町・農村集落】 地図
 
町並度 3 非俗化度 6  −長らく地区の政治的拠点であった 郷士の屋敷が残る−


 


 
穂積家住宅(県重要文化財) 茅葺屋根が修繕された
 

 高萩市上手綱地区は市街中心から北西に3kmほど、常磐自動車道の高萩ICに近いところにある。周囲は田園地帯が展開し、東側は国道6号に向けて下手綱(松岡)地区の街村が連なっている。
 中世には竜子山城が構えられていたところで、江戸初期にこの地に入った戸沢氏により松岡城と改称される。戸沢氏はその20年後に出羽新庄へと国替えとなり、城は水戸藩に譲渡された。以後は水戸藩家老・中山氏が統治しこの地区は行政的中心として整備された。もともと有力な農家も多く豊かな土地であったこともその基盤となった。
 上手綱地区を歩くとどこか城下町のような風情を感じる。厳かな瓦葺きの門を構えた屋敷、塀に囲まれた広い敷地には漆喰の白も鮮やかな土蔵が見える。川沿いには柳が植えられるなど小公園のような趣も漂っている。
 地区を最も象徴する建物が穂積家住宅だ。上手綱村の庄屋職を勤めていた当家は延享3(1746)年に郷士に任命され、現在残る建物は安永2(1773)年の建築である。長屋門に主屋、二棟の土蔵が県の重要文化財に指定されており、周囲を巡る塀も長大である。穂積家は農業のみならず酒造、営林なども手掛け多角経営を行った。敷地内には立派な庭園そして水路があるという。この水路は酒造のための水車を動かすためものだったという。ぜひ内部を見学したいところであったが、茅葺屋根の葺き替えを中心とした整備工事中で、しかも工期がちょうど訪ねた日までとなっており、残念ながら叶わなかった。
 

 



 
 

 

   

 
訪問日:2023.03.31 TOP 町並INDEX