高宮宿の街道風景

滋賀県彦根市<宿場町・門前町> 地図 
 
町並度 6 非俗化度 6 −多賀大社の門前町的性格を持つ大規模な宿駅−
 





伝統的な町家建築が連続して残る高宮の町並


 高宮宿は中山道の宿場で、北の鳥居本宿より一里半、南の愛知川宿へ二里の位置である。江戸後期の記録では本陣1・脇本陣2、旅籠23を有していたが、この町は単なる宿場町というだけでなく多賀大社の門前町的な色合いも濃かった。街道に接して大きな鳥居が見え、ここから東へ参道が伸びている。「お多賀さん」と呼ばれ親しまれている非常に歴史深い神社で、伊勢神宮の天照大神の親神にあたるとされ、伊勢参りに相乗りする形で参詣者を呼び込んでいった。
 また商業も活発で、特に近隣の農村で織られる麻布は全国的に有名で、高宮布あるいは近江上布と呼ばれていた。彦根藩も毎年将軍に献上していたほどの名産品であった。その他呉服や蚊屋、そして彦根城下で生産盛んだった仏具商人、大工、鍛冶、左官、瓦職人などの工人も交え、江戸期の高宮は既に相当規模の町を形作っていたという。数字で見ても天保14(1843)年の記録で中山道各宿の中で石高は最大であり、人口も第二位であった。
 古い町並は鳥居のやや北側から宿の南端であった「無賃橋」のたもとまで残っている。町家は平入りで中二階、袖壁と虫籠窓の見られるこの地区での典型的な町並の姿がよく残されていた。軒の高さは余り統一されておらず段違いが目立つのは、建てられた年代が異なるからなのか。それだけ長きにわたり繁栄が続いていたことを裏付けているようだ。ちなみに無賃橋とは犬上川に架かる橋で、宿の有志が金を募って19世紀前半に架けたもので、旅人に無料で解放されたため名付けられた。現在でも「むちんばし」と刻まれた石柱が残っていた。
 現在旧中山道は商店街となっていて、店舗に改装されたものが多く宿場当時そのままの風情が味わえるといったほどではないが、家々の密集度が高く、また店舗となっていても2階部を看板等で覆わず、ある程度原型を保っているものが多いため、古い町並として見応えがある。塗屋造りがほとんどを占めるが、それも白漆喰、黒漆喰、そして土壁剥き出しのままのものと様々で、変化のある家並である。枡形等の街路の工夫はなされていないようであったが、鳥居の北側を中心に緩やかなカーブが連続し、町並が遠くまで見渡されるような箇所は少ない。
 町のあちこちに中山道であったことを知らせる看板が設置されているが、観光施設風に改造された家屋はなく、地方都市の小さな商店街といった雰囲気で、着飾っていない雰囲気は好ましかった。但し、この地区の旧中山道は国道8号線の抜け道として利用されているようで車の通行が多く、街道散策には注意を要する。







訪問日:2005.04.16 TOP 町並INDEX