高鍋の郷愁風景

宮崎県高鍋町<城下町・在郷町> 地図
 
町並度 4 非俗化度 6  −高鍋城下を発端に日向中部の政治経済の中心として発展−




高鍋の町並


 高鍋町は宮崎市の北約30km、東は日向灘に面している。この付近は海岸そして流れ下る河川、河口の風景など、西日本としては大らかで雄大で、また太平洋岸のため冬季に降雪を見ることはまずなく、古く日向といわれていたのがよくわかる。
 町域の北部を小丸川が流れ、河口近くに日豊本線の駅が設けられているが、町の中心はそこから約2.5kmほど内陸に入った地区である。
 南北にほぼ一直線に連なる街路に沿い、古びた家々が残る。旧地名で六日市などと呼ばれていることから商業が栄え、市が開かれていたのだろう。九州も南部になるといわゆる町家建築がめっきり減ってくるが、ここでは比較的その姿を残し、主に妻入りの形を取った塗屋造りであった。また、一部では裏手に土蔵を従えた面積の広い邸宅、洋風の建物なども残っていることから、いかにこの地が賑やかで栄えていた土地であるかがわかる。
 中世には高鍋(財部)城が存在し、その城下町として発達した。天正15(1587)年の豊臣秀吉による九州仕置以後、筑前秋月城主であった秋月種実がここに移り、幕末に至っている。高鍋藩が成立し、また廃藩置県後一時高鍋県が存在したように、長らく政治・経済の中心地であり続けたところである。
 歩いていると町は古い建物、町並を意識しているらしい色が濃く伝わってくる。南北の旧道と県道24号線との交差点北西側にはひときわ目立つ妻入り町家があり、外来者を迎え入れ、旧市街のコミュニティー施設として活用されているようであった。ささやかな動きではあるが重要なことで、応援したい。











訪問日:2014.01.02 TOP 町並INDEX