新市宿の街道風景

広島県高野町 <宿場町> 地図 <庄原市>
町並度 5 非俗化度 10 −陰陽連絡の山間の宿駅−



新市の町並


 高野町は広島県最北端の山間の町で中国山地の脊梁部が近く、その麓に東西に開けた標高550m前後の盆地上の高原に集落が散らばっている。冬季は中国地方とは思えないほどの寒冷地となり、積雪はしばしば1mを超え、冬の間は根雪となる。
 町の中心集落・新市は山陰側とを結ぶ諸街道の主要な宿駅で、東側の比和町方面から出雲路が伸びてきて、集落の中心で口和町方面から北上してきた雲伯路と合流する。電柱に隠れるようにかつての道標が残される。出雲路はその地点から北に折れ、出雲との国境の峠道となる。この峠は、山陽側はなだらかな高原状であるが山陰側は急坂だ。新市が標高の高い地にあることがわかる。
 山陰と山陽の間には古くから数多くの峠路があり、その多さは砂鉄産業(タタラ製鉄)の発展が大きく関係していたようだ。高野町域を含む旧恵蘇郡は広島藩内有数の砂鉄の産地で、生産高は全体の約半数を占めていた。幕末には46箇所の鉄穴場(砂鉄採取場)と5箇所の鈩場が記録されている。
 町場はその製鉄業や製鉄に必要な木炭などの製造で活気を示し、宿駅としての発展もあってかなりの賑わいを示していたものと思われる。
 国道の北側に旧街道は残されたことで、当時の町並はある程度保存されている。旧出雲路は今でも乗用車が悠々すれ違える幅があり、その両側には木造の建物が連なっている。漆喰に固められたいわゆる塗屋造りは少い。そして屋根は山陰との結びつきを示すような赤褐色の瓦とともに、トタン屋根もかなり目立つ。冬の積雪が深いことを示しているようだった。雲伯路との追分を経た北側は街路が細くなるが、町場はさらに西側に大きく伸びていたようで、その辺りにも伝統的な家屋が幾つか残っていた。中には2階部に手摺を設けた料亭か遊郭を思わせるようなものもあった。
 現在は町を通過する国道432号自体にも陰陽連絡の役割は淡く、冷涼な気候を利用した林檎栽培が盛んな程度で、人工の流失が著しい。そんな中で町並を歩いている時、地元の若者などが盆踊りに向けての準備にいそしむ姿をあちこちで眼にした。伝統行事を途切れされることなくいつまでも守っていってほしいものだ。
 
 
 




出雲路と雲伯路との分岐点(右側手前が雲伯路) 旧出雲路沿いの町並




追分より北側の旧出雲路沿いの町並 旧出雲路沿いの町並


訪問日:2005.08.17 TOP 町並INDEX