高砂の郷愁風景

 兵庫県高砂市<港町> 地図
 町並度 4 非俗化度 8  −加古川を下った物資はここから積出された−
 




 高砂の町並。高砂神社の北側と西側に古い姿を残しています。 船材を利用した壁面に港町を感じます。




旧運河沿いには舟倉でしょうか、このような古い建物が連続する所もあります。 小規模な町家が連なる一角


高砂商工会議所の建物
 

 高砂市は姫路市と加古川市に挟まれ、播磨灘に面している。山陽本線や国道2号線が市域の北部を通過するが町の中心からは離れている。
 昔からの町の中心は市の南東部、加古川の河口の西側である。この地区は近年大規模に埋立てられ、一大工業地帯となっているが、昔はまさに白砂青松の美しい港町であった。高砂は歌枕にも用いられ、謡曲にも歌われた。
 関ヶ原の合戦後播磨藩主となった池田輝政は慶長16年(1605)、町の中心、現在の高砂神社の辺りに城を築いた。加古川の河口付近に位置することから池田氏は舟運路を整備し、東播磨地方の物資の集積地として計画した。この川運は主に年貢米の輸送に使われ、伏見より米蔵を移し収納させたり、周囲の村々より住民を呼び寄せ町作りを命じたという。町内の今津町は、対岸にあった今津村からの移住民を住まわせたことに由来している。
 この頃に港町高砂の原型が整えられていったのである。
 町を歩くと、周囲の商工業地、新興住宅地の中で、趣の異なる静かな島が残されている様で、路地の複雑に巡る町割は古い港町の風情が色濃い。高砂神社の北側には、漁船の停泊する舟だまりがある。これは河口の港として開かれた堀川の名残である。南岸には板張の簡素な舟蔵が数棟残っており、昔を偲ぶことができる。
 高砂神社は縁結びの神として知られ、訪れた時は丁度初詣期で多くの参拝客で賑わっていた。神社境内には工楽松右衛門の銅像が立っている。松右衛門は、帆船の帆に改良を加え、幕令により択捉島に埠頭を築き、その功績で工楽姓を与えられた。その工楽家が町並の中に残っている。この魚町界隈は、高砂では最も町並らしい所である。壁面には船材が利用され、辺りの小路の情景はいかにも港町らしい。
 この町並は最近町並保存に向けて動き出しており、ワークショップの実施、そして複雑に入り組む町名の案内板の設置予定もあり、工楽家付近をを中心とした古い町並の今後に期待したい。


訪問日:2003.01.02 TOP 町並INDEX