高崎の郷愁風景

群馬県高崎市<城下町・宿場町> 地図
 
町並度 3 非俗化度 7 −所々に残る城下町・旧街道沿いの面影−




昭和レトロな雰囲気もある高崎銀座商店街  商店街裏手の町並




久蔵町の町並 旧中山道裏手に見られる土蔵群


 群馬県の表玄関でもある高崎市は城下町として町が整備され、商業町・宿場町としての賑わいにより発達してきた町である。 
 歴代藩主により城下町が整備され、現在の町の基盤が形作られた。特に慶長6(1601)年に高崎城に入城した酒井氏の時に抜本的に町割がなされた。それに伴い地内を通過していた中山道は、城下の中心を通るよう道筋が変更され、高崎宿が整えられた。現在の本町−田町−連雀町にかけてが宿場町の中心で、特に田町には大商人が集まり街道一の賑わいを示していたという。「江戸みたけりゃ高崎田町」とも謳われた。江戸前期の延宝年間には、本町で3・8の日、田町で5・10の日に六斎市が早くも開設された。取引された品は高崎絹と呼ばれ珍重された絹製品、木綿、煙草、紙などであった。貞享4(1687)年の記録では、高崎宿は人口5,700人余り、戸数881戸に及ぶ大きな町場であった。
 但し旅籠15を数えた一方本陣・脇本陣は指定されず、宿場町というより城下の商業町といった性格が強かったようだ。
 田町・本町付近の旧中山道沿いは現在の市街中心であり、かつての面影は見られない。但し、表通りからはわかりづらいが建物の陰に土蔵が連なっている風景が所々に見られる。一部は空地越しにはっきり見ることができる。街道沿いにあった商家の裏手の土蔵群なのだろう。なお、旧中山道筋の一本西側の高崎中央銀座商店街は一部が非戦災地区となっており、昭和レトロな感触の店舗群を見ることが出来る。
 中山道の街道筋は本町一町目の交差点を過ぎると本来の道幅となり、やや下り坂となり赤坂町、常盤町となる。この界隈には土蔵を従えた商家風の建物などわずかに街道集落らしい佇まいも残っていた。この西側には烏川があり、河岸が設けられ高瀬舟が発着し、城下への物資が荷揚げされていたという。
 
 




旧中山道沿い赤坂町の町並




旧中山道沿い常盤町の町並

訪問日:2018.06.09 TOP 町並INDEX