竹田の郷愁風景

兵庫県和田山町<城下町> 地図 <朝来市>
 
町並度 6 非俗化度 6 −卯建が見られる但馬の城下町−




 竹田の町並は城下の一本道に沿って長く連なります。 本卯建を掲げた旧家。煙出しも残り風格を感じます。
 
 
 弁当忘れても傘忘れるなという言葉がこの竹田を含む但馬地方にはある。それだけ天気が変わりやすく、雨や雪が多いということであろう。この言葉は日本海側の領域に属するこの地域を象徴している。
 実際私が訪ねた時も途中から雨が降り出し、このページに紹介する写真も雨景が含まれている。このような気候風土の但馬地方は、町並も山陽側の播磨地方などとは異なる雰囲気を醸している。




 竹田の町並 竹田城の麓の寺町の町並




竹田の町並  卯建の旧家。この辺りで街路が屈折し、視界の遮断が図られています。
 

 竹田城は虎臥城とも呼ばれ、家並の西に聳える古城山の頂きにある典型的な山城である。ここは播磨と但馬を結ぶ街道の要衝でもあり、但馬の守護大名であった山名氏は、北流する円山川と古城山とが地形的に迫った狭小のこの地に着目し、嘉吉年間(15世紀中期)に築造されたといわれている。
 山名氏の配下太田垣氏、その後播州龍野の赤松氏の預かりとなり城が守られたが、慶長5(1600)年には廃城となっている。しかし現存する規模と石積などの巧緻さなどから、国史跡に指定されており、町並からもその石垣の一部が望まれる。
 主に現在に残る古い町並は、街路に沿ってほぼ一直線に連続する街道集落的な形態を示している。先に述べたようにここは播磨と但馬を結ぶ重要な街道上の町で、この街路上の家並は、城下町よりも宿駅として機能した時代を示しているようだ。慶長年間には200匹の駅馬があったという記録がある。
 古城山裾に向うと、そこには塀に囲まれた寺が連なり、清い流れがその前を流れている。水路は町のあちこちに見られ、計画的に街づくりされた城下町らしい形を今に残しているといえよう。街路も直角に二度折れて視界の遮断を図る工夫がされており、町の防衛が厳重になされていたことを思わせる。
 街道上の町並は平入りがほとんどであり、隣家とほとんど隙間無く連続して家屋が建ちならぶなかなか壮観な家並である。所々に本卯建を両妻部に立ち上げた旧家を見ることが出来る。特に町の中央にある造り酒屋や、直角の鍵曲りの角にある旧家などはその規模も大きく、見事な卯建である。兵庫県はここを景観形成地区に指定していると聞くが表立っては整備されている様子は無く、逆に自然な古さを感じさせるいい町並であった。
 


訪問日:2004.03.20 TOP 町並INDEX