武生の郷愁風景

福井県武生市【城下町・商業都市】 地図 <越前市>
 
町並度 6 非俗化度 7  −嶺北南部の中心地−





 武生市は福井平野南部が盆地状に狭まったところにあり、嶺北南部の中心として位置付けられている。古代はこの付近は全て越国と呼ばれており、その後越前・越中・越後の三国に分割されたとき、ここに越前国の国府が置かれたという。現在市の中心部に府中という地名が残っているのもそのためと思われる。

天王町の町並





あおば町(旧北国街道沿い)の町並 本町(旧北国街道沿い)の町並




元町の町並(通称タンス通りと呼ばれている)
 

 江戸時代には福井藩の家老本多氏の居館が構えられ、天守閣はなかったものの小規模な濠が設けられそれを中心に城下町としての都市計画がなされ、北国街道を境に侍屋敷、寺社、商業町が区分された。現在も京町・本町界隈に寺院が密集していることでその名残を感ずることができる。
 主要街道に面し、また周囲の山間部から物資が集まりやすいところでもあり、南越前の商業の中心としての地位は長きにわたった。町中で様々な産業が盛んだったこともその基盤として大きいものがあった。手工業が盛んな地域で、製糸業や織物、紙など現在でも盛んに行われている。中でも刃物が有名で、幕末頃には鎌の生産高が全国一であり、越前鎌の商標名で全国に販路を広げていた。それに関わる鍛冶職人、鞴(ふいご)の製造業なども非常に盛んであった。
 武生の刃物業は南北朝時代に京都から移り住んだ刀鍛冶屋によって伝承されたのが始まりとされ、以後700年近い歴史を刻むものである。当時からの槌打ちによる打ち伸ばしなど、工法が頑なに守られ、切れ味も抜群として全国で珍重されている。国府の時代にここには細工所が置かれていたとされ、当時からの手先の器用さと物づくりの感性が受継がれてこそのものだったのだろう。
 刃物をはじめとした卸問屋も数多く、市街地は発達した。 
 古い町並は本町付近を中心に面的な広がりを見せ、密度濃く連続した箇所は多くないものの相当数の伝統的な建物が市街中心に残っている。典型的なものは切妻型の平入り町家で、二階妻部に袖壁を張り出した構造で、軒は瓦を葺いたものが多いが木製のものも目立ち、これらは北陸全般に見られる一般的な町家の姿だ。
 この町で特徴的なのがそれら古い建物が店舗として利用されている率の高いことで、北国街道沿いに一部連続した町並景観が残っている。それらは二階正面部に古びた看板が掲げられたものが多く、刃物をはじめとして箪笥や漆器、酒や日用品など様々な商品の看板が見られる。それらを見ながら歩くだけでも興味深いものがある。
 明治期以降にも大火などがあり、江戸時代にまで遡る古い町家は少ないと思われるが、その分建て方に統一感がある町並である。しかしながら単調な味わいではないのは、一本道だけでなく小路や路地にも伝統的な建物が散見され、さまざまな店舗として活用されている姿が多いからだろう。
 古い町並として地元の方が立てられたと思われるささやかな案内標識が見られたが、保存の動きはごく一部で個の店舗により行われている程度で、このままでは歯抜け状態となるのは確実である。何らかの保存策を立てる余地は十分残されている町並と思う。今後に期待したい。




若松町の町並 京町の町並

訪問日:2007.10.13 TOP 町並INDEX