竹鼻の郷愁風景

岐阜県羽島市【在郷町】 地図
町並度 6 非俗化度 8  −木綿産業で栄えた在郷商業町−
 












竹鼻の町並

 

 羽島市は新幹線の駅が設けられ岐阜県の陸路の玄関口となっているが、市街中心の竹鼻地区には古い町並も残り、その町本来持っていた顔を失わず保っている。
  ここは藩政期、東海道の脇街道である美濃路が通過するなど陸上交通の拠点となり、商業の集積を見た。18世紀初頭には、京都西陣から木綿織物の技術が伝わったとされ、後に「美濃縞」の銘柄で知られる木綿縞の生産の中心として繁栄した町だ。
 もともと市場町として六斎市などが開かれていたこの町にあって、産業の隆盛は美濃路を通行する人々を引寄せるに十分で、在郷商業町として大きな町場を持つに至った。明治に入って、近代産業化により竹鼻の木綿産業はますます発展し、商家が所狭しと建ち並んでいった。
 町並は明治期に濃尾地震による被害を経ているので、多くがそれ以後の建物と思われるが、平入り切妻で両端に袖壁を有した、典型的な町家の密度濃いまとまりがあった。古い町並の範囲はそう広いものではないが、連続性は高く格子が多用された渋い出で立ちなので、探訪するものに落着いた情緒を感じさせる。これらはほとんどがもと商家だったのだろう。私が歩いていると古びた伝統的な家屋を、その素材を活かしながら古い外観のままに建替えて居られる姿を見た。地元の方々もこの町並の古き姿を風化させまいと、意識し努力されている様子が伺えた。
 岐阜県は海岸を持たず内陸に位置するが、この付近は濃尾平野でも有数の低湿地帯だ。海岸から30kmも隔てたこの地の標高はわずか数メートルで、古くから洪水との格闘であった。殊に木曽川の対岸の尾張側に堅固な堤防が築かれた慶長年間(江戸初期)以降、その煽りを受けてしばしば水害被害に遭った。竹鼻の人々は輪中を囲み、大水時のための人工の高台などを築くに至った。近くに木曽川の流れがある平野地帯で水には事欠くことなく、稲作に最適な土地であるはずが、水害常襲地帯のため不作の年が多かったようで、元々農間余業だった木綿産業が町民の生活を支えることになったとは皮肉なものである。
 

訪問日:2006.07.16
2013.08.12再取材
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