重要伝統的建造物群保存地区の町並が展開する竹原市の中心から北に約4kmほど、賀茂川に沿って東野地区がある。古くは広島藩の蔵入地であり、塩田で栄え大きな町場の栄えた本町地区とは別の独立した発展を示した。戦後しばらくまでは東野村という独立した自治体であった。
産物には楮(紙の原料)・煙草・茶などが記録として残り、また大工や紺屋も存在し、小さいながらも在町として栄えていたようだ。一方、浜子と呼ばれる竹原塩田での下働きをする者も少なくなかった。明治時代に入ると酒や醤油の醸造、そして養蚕も盛んで一つの商業町を形成していた。
国道2号線と竹原市街を結ぶ国道432号線は、北側から東野町の中心に入る直前で賀茂川の左岸から右岸に移り、南端でまた左岸側に戻る。市街地を道路拡幅で潰さぬようバイパス化したことがわかる。そのため佇まいは多く破壊されることなく保存されていた。
平入りで一部の町家には袖壁が付き、一階部分の格子も保存状態の良いものが多い。規模的には小さいもので、見応え感には今ひとつではあるが、ここに古い町並があるとは想像外であった。
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