武雄の郷愁風景

佐賀県武雄市【温泉町・宿場町】 地図
 町並度 4 非俗化度 5
 −殿様湯も存在した1300年の歴史を有する温泉町−
 

 温泉のある町として知られる武雄。厳かな楼門と共同湯の元湯は同温泉のシンボルである。東京駅を手がけたことで知られる辰野金吾氏の設計である。
武雄温泉の楼門








古い構えも見られる商業地区 廃業された旅館の見られる一角もあった(右下)


 1300年の歴史を有するといわれる古い温泉場で、豊臣秀吉が名護屋城に起居していた中世末期頃には、既に温泉街が形成され多くの兵士も入浴していたという。兵士が地元の利用客に迷惑を掛けないようにと秀吉が定めた「入浴心得」という朱印状も残されている。
 シーボルトの『江戸参府紀行』など著名人もこの温泉を訪れたことを文章に残している。享和2(1802)年に長崎を訪れた尾張の商人菱屋平七の『筑紫紀行』では「人家400軒計り、佐賀の家臣衆の領地なり、遠近の人湯治に来り集る。さらによりて宿屋茶屋多し」と記録される。
 また温泉街の発展には長崎街道沿いであった事も無関係ではないだろう。当初は南側の塩田を経由していたが河川の氾濫の影響を受けやすく、18世紀後半の享保年間頃に武雄を経由するルートに変更され、塚崎宿が設置された。宿場の東西は鍵型の屈曲が設けられ遠見遮断が図られた。
 温泉は藩営となり、浴場のある建物がそのまま本陣として利用された。浴室は大名から庶民まで身分によって分けられていた。藩主の専用浴場として作られた「殿様湯」は現在もその遺構を見学することができる。
 温泉客は近隣の嬉野温泉に流れ勝ちとはいえ、街の賑わいの中心は楼門付近を中心とした温泉街で、多くの宿泊客・日帰り客の姿が見える。付近には商店も多く、伝統的な構えを見せる店舗も見られた。北側の街区を中心に大型の温泉旅館も見られるが、一部には廃業された旅館も見られた。温泉街全体は寂れた印象ではないが、このような界隈が古い町並の風情を形成しているのは皮肉なものではある。
 一方で旧長崎街道を西に進むと所々に洋館や塗屋造りの商家建築が残り、歴史の街路であったことがしのばれる。塚崎宿の案内板が設置されており、古い町並としての残存度は低いものの街道集落的風情は感じられた。




旧長崎街道沿いの町並



訪問日:2018.01.03 TOP 町並INDEX