竹田の郷愁風景

大分県竹田市【城下町】 地図
 
町並度 6 非俗化度 4 −小盆地に展開する旧城下町−




竹田の町並は無秩序に近代化されながらも古い造りの家々が極自然に残っている。


 大分県南西部の山間に開ける小盆地に竹田の町がある。この町と言えば滝廉太郎が対句のようにイメージされ、町中にはくぐると廉太郎の曲が流れるトンネルなども設けられているが、もともとは岡城という中世からの城を従えた城下町として長い歴史を刻んできた町である。






竹田はトンネルが多い町である。

 江戸初期に播州三木から入部してきた中川氏によって城下町としての竹田の歴史が始まり、盆地の南の丘陵にあった岡城を改築・拡張する一方、周囲の諸集落から商家を城の近くに移した。中でも肥後への往来の宿駅とされていた西部の玉来地区からは実に53軒の商家を移転させたという記録が残っており、抜本的な都市計画が行われたのである。
 とはいえ市街地は狭く、現在も人口数万人の小都市で、岡城址を擁する南側の丘陵地、北は屈曲する稲葉川に限られた狭い平地が、昔も今も市街地を展開させるに充分な広さだ。そして町中に入るにはたいていどこからでもトンネルをくぐる必要がある。この町が蓮根の町と称されるのは、山襞が複雑に分け入る中にぽっかりと空いた低地で、どの方向から入るにも小さな山が障壁となってトンネルを経由するからで、またそうした特殊な地形が城下町を築くに最適な条件であったのはいうまでもない。
 町を歩くとさすがに近代的な町の景色に多くの地域で変化し、古い町並としての密度は決して濃いとはいえない。しかしこの町には周囲を丘で隔てられた小世界のような匂いが感じられ、歩度を緩めて時間をかける価値のある町である。
 岡城への入口近くに武家屋敷街が土塀をその遺構として、ある程度のまとまりを持って残っている地区がある。武家の建物は非常に粗末であったため、現在はその姿を留めていないのは全国共通する現象であり、それに反して頑丈な塀や門は、もと武家街のシンボルとして残されている例も少なくない。この竹田でも数百メートルにわたって、土壁・漆喰壁、そして長屋門などが連続して残り、象徴する風景を形作っていた。
 この町は残念ながら度々町場が大きく破壊されている。明治初年の西南の役では西郷軍1,800人もの兵群がここを占拠し町を討ち払ったし、第二次大戦後には大火に見舞われ、城下町時代の面影を残す旧家の多くが失われた。それでも高密度とはいえないまでも、町を歩くと至る所に漆喰に塗り回された町家建築や土蔵建築が見られるのは、古くからの町場としての質が高かったことを表しているようである。武家屋敷地区で公開されていた施設の方に聞いてみた所、1軒を除いて本格的に保存活動を行っている町家建築はないとのことで、それが残念であった。
 内陸部にあり、また独特の地形から今後大きく開発される可能性は少ないと思われるが、素朴な街の雰囲気を失わないでほしいものだ。





市街地の南端には武家屋敷の雰囲気をとどめる一角があり、この町の象徴的な風景となっている。

訪問日:2006.08.15 TOP 町並INDEX