久住の郷愁風景

大分県久住町【宿場町】 地図  <竹田市>
 町並度 4 非俗化度 7  −九重連山を望む高原の街道集落−
 



 
久住の町並 象徴的な造り酒屋
 

 久住町は県の西部、久住山の南麓で町の中心付近は標高600m弱の所に位置する高原の町だ。国道を西に向うと久住山の裾を巻いて筑後川の源流と言われる瀬の本を経由し、黒川温泉、さらに肥後小国へ達する。
 中世末期、秀吉の九州平定後は一時岡城の領地となるも、関ヶ原の役後に肥後加藤清正に天草の替え地として豊後の領地の一部が与えられ、江戸期は一貫して熊本藩領であった。
 地内を通過する豊後街道(豊後側からは肥後街道)は熊本藩主の参勤交代路となっていたため、宿場町が形成され藩営の本陣も置かれた。細川氏の時代になると手永制度が取られ、阿蘇郡内11ヶ村とともに久住手永が組織され、熊本藩の拠点の一つとなった。
 国道が西側にバイパス化し、旧街道沿いは往時の風情が残されている。高原の街道集落らしく緩やかに坂道が続く。見た所商店街として賑わった時期があったようでその当時更新された建物が多く、伝統的な佇まいという訳ではないが、一直線に並ぶ家々は爽快感に似たものを感じさせる。それは街道風景越しに仰ぎ見る久住山の風景があるからだろう。
 そんな中にあって、個性的な造り酒屋の建物が印象的だった。洋風の意匠を取り入れた外観で、正面戸袋に記された屋号、奥に控えた部分に立上る尖塔を思わせる屋根の立上りなどが特徴で、こだわりを感じさせた。


 
 

 



 
   
   
訪問日:2023.09.24 TOP 町並INDEX