蛸島の郷愁風景

石川県珠洲市【漁村】 地図 
 町並度 6 非俗化度 8 −能登半島最奥に重厚な町並の連なりを見る−




 珠洲市は能登半島の先端を占めている。その大きな半島は豊穣の富山湾を形成し佐渡と対峙しているといっても良いほどであり、金沢からも100km以上の距離がある。




蛸島の町並 妻入りの家々が目立っていた


 国鉄能登線は奥能登の浦々を結び、最終的にこの蛸島まで達していた。まとまった市街地集落としてはここが最も半島の奥地に位置する。蛸島の地名は船乗りを喰う大蛸が居て、それが山神に退治され島に化したとの伝説によるという。
 蛸島村は生粋の漁村集落で、『能登名跡誌』という古文書に「家数四百軒あり、近郷の猟(漁)場にて四十物(干魚)其外問屋あり」と記録される。この付近は入江が少なく砂浜海岸が続いているが、その割に岸に近いところから比較的深い海が展開していることから好漁場として栄えていた。深い水深で知られる富山湾は飛騨山脈北部の山々から栄養素の高い水が流れ込み、それを求め集まってくる鰤をはじめ鰯や鯛など高い漁業収入を期待できる魚介類の宝庫であった。
 その豊かな漁獲から村民は裕福で、商業的にも能登半島最奥の拠点として賑わっていた。また海の恵みだけではなく、素麺づくりも古くから盛んで、蛸島素麺の名で知られ、酒造を営むものも江戸後期には四軒を数えた。
 珠洲市の海岸線を一周する幹線道路から海側に密集する家並が広がっている。ここが古くからの蛸島の町で、連続性の高い見応えのある町並が展開していた。特徴的なのが妻入りの家屋が多いことで、一部では切妻の三角形の断面がリズミカルに連なり、壮観だった。そんな中に地場の銘柄を記した酒屋の看板があった。江戸期から続いている醸造家なのかもしれない。
 町並の雰囲気は漁村というよりは商業で栄えた町家群といったほうが適当で、それは漁獲だけでなく、素麺などの諸産業、廻船業も受け持ち富を得た家々が多かったであろう色が家並の出で立ちから感じ取れた。しかも、寂れた感じはなく伝統的なつくりでありながら、最近になって建て替えまたは補修されたと思われる比較的新しい建材が目立つのも、この半島先端の地としては意外な思いを抱いた。
 
 






 
訪問日:2013.05.02 TOP 町並INDEX