高瀬の郷愁風景

熊本県玉名市<港町・商業町> 地図
 町並度 4 非俗化度 6 

−熊本城下に次ぐ町の格を与えられていた藩域北部の商港−

             

 商家の裏手を流れる裏川の風景。石垣が良く残り、ここから物資の積出し、搬入をしていた姿を良く残す貴重な遺産です。  裏川と町場をつなぐ路地。商港時代は物資と人が行きかっていたのでしょう。



 熊本県北西部にある玉名市は、菊池川の下流域に発展してきた町である。
 江戸期には一貫して熊本藩領で、藩の指定する五ヶ町の一つに含まれ、熊本城下に準じる商業都市とされた。
 沃野に恵まれたこの地区は、中世前期から町が形成されていたという歴史の古いところである。島津氏などの侵攻に堪えながら地場の高瀬氏が統治していたが、江戸期には藩主加藤氏の支配を受けていた。清正は東外れを流れていた菊池川の改修を手掛け、町の中心近くに移している。それにより菊池川流域の物資はここに集結して、この港町高瀬は商業地となった。
 中世に城のあった位置に奉行所を置き、町別当・丁頭・肝煎といった役を揃え行政を行い、川運により集められた米は高瀬御蔵に収納され、河口にある外港から毎年20万俵を年貢米として大坂堂島に納めていた。寛永年間(17世紀前半)には町内に水夫87名を有しており、その後の文政期には500石積の船も着いたといわれる。
 商業の中心は菊池川の北岸を並流する裏川沿いの一帯であった。上町・本町・中町と呼ばれていた地区で、それらは家々の背後を裏川に面させ、そこから物の積出・搬入をする仕組となっていた。今その裏川を歩いてみると、近年河川整備事業が入って綺麗になっているが、往時のままの石橋、石垣、そして川沿いからは町筋に抜ける路地もそのまま残り、川港だった当時の雰囲気を良く伝えていた。
 表通りの方は近代的な商店に建替えられたものも多く、町家の姿を残しているものはそれほど多くない。少し残念だがそれでも所々に二階部分を白漆喰・灰漆喰に塗られた平入り中心の伝統的な建物がまだまだ残り、古い町並の景観を保っていた。

 




高瀬の町並 高瀬の町並


 近代的な建物に挟まって辛うじて残る酢商



訪問日:2004.05.03 TOP 町並INDEX