玉野の郷愁風景

岡山県玉野市<産業町・港町> 地図
 
町並度 3 非俗化度 9  −塩田で栄えた児島半島の町−




玉二丁目の町並


 玉野市の中心部の一角である玉地区。玉野の市名は合併成立時に中心地区であった玉地区と宇野地区の名を取ったものである。
 江戸期は備前国児島郡に属し、明治中期までは玉村という独立した自治体であった。
 主要な産業は塩田による製塩業で、また耕作地にも恵まれていたため、漁業はそれほど力を入れていなかったようである。天保10(1839)年には22町の塩浜が開発されたという。この頃には廻船業も行われた記録もあり、酒屋・油屋・鍛冶屋・木挽きなど商工業を行う者もあり町が発達していたようだ。大正に入ると塩田であったところが造船所に買い上げられ、現在に続いている。
 地区の中心はアーケード街となっている商店街とその周辺で、その北西側に市街地の広がりがある。街路は整然とした碁盤目状を呈し、ある時期に整備されたのだろうと思わせる。
 伝統的な建物はそれほど多く見られないが、古くから営業されている店舗、旅館建築などが残っていた。建物の様子から、一部遊興的機能を持っているものもあるかに思われた。
 北東側に隣接する宇野地区が四国への玄関として長らく賑わいを見せ、現在も近代的な市街地が展開している一方で、玉地区は比較的古い時代の面影を残しているといえるだろう。
 




玉二丁目の町並



玉四丁目の町並



玉二丁目の町並


訪問日:2016.04.10 TOP 町並INDEX