玉島長尾の郷愁風景

岡山県倉敷市<商業町> 地図
 
町並度 4 非俗化度 10  −新幹線の駅裏に残る古い町並−




 玉島港から新倉敷駅を挟んで反対側の長尾の町に人知れず古い家並が残っています。  街路がカーブした位置にある造り酒屋の土蔵。塀に囲まれた広大な屋敷でした。




 海鼠壁・入母屋の旧家も見られます。

 虫籠窓も残ります。

 

 倉敷市の西部、玉島地区の一角にこの長尾の町はある。古くからの港町である阿賀崎、乙島地区を南に控えたこの地区は玉島往来が南北に貫き、物資の流通の盛んであったところである。古くは平安期の「新拾遺集」にも地名が登場する歴史の古い町だ。藩政時代には初期に備中松山藩領、一部幕府領を経たが、幕末まで多くの期間、丹波亀山藩領の飛地であった。
 中世は深い入江で内海が広がっていたこの地域は、江戸期に入り盛んな新田開発で玉島港辺りと陸続きになる。この町の北側は丘陵地帯をなしていて、旧山陽道の通る小田川流域とを分けている。古くは山陽道と瀬戸内とを結ぶ海岸沿いの町であり、陸地化して以後も玉島港への中継点としての位置があったことが察せられる。中2階の古い形式の町家や、海鼠壁を張り巡らした土蔵、大きな造り酒屋が今でも残り、周囲の現代的な住宅地・商業地の風景とは一線を画していることがそれを物語る。
 地場産業も古くから興っていたようで、文政年間(1820年頃)から足袋や線香の生産が盛んになり、線香製造は現在も続けられている。小麦の栽培が盛んでうどんの生産が行われ、麦藁帽子の原料である「麦稈真田編」の一大産地でもあった。
 新幹線の新倉敷駅の北東側に位置しており、時折轟音とともに列車が通過するすぐそばで、よく旧態を保っていると思わせる町並である。しかし今後更新が進み、古い姿が徐々に姿を消してしまうことになるのだろう。既にその過程を踏んでいるような感じがした。

 




訪問日:2004.04.18 TOP 町並INDEX