田主丸の郷愁風景

福岡県田主丸町【在郷町・宿場町地図 <久留米市>
町並度 5 非俗化度 9 −河童伝説のある筑後平野の町−








 田主丸は筑後平野東部に位置する町で、域内を多くの支流副流が横断し水のある風景が多い。その事によるものか、河童伝承の多いところとしても知られている。


 町の基盤は江戸初期に土豪であった森田氏が慶長19(1614)年に豊後街道筋の藪林を開拓して宿場町として整備したことから始まる。『筑後国史』によると、延長125間(約225m)に及ぶ規模であったとされる。森田氏は後に大庄屋役を命じられている。
 後に森田氏は吉瀬氏とともに町筋仕立てを行い、地内に法林寺・来光寺を勧請した。 町割は西から出町・横町・中町・上町・祇園丁・新町・橋口と続き、延長も倍以上となった。宿場町としての発達は余りないようではあったが、在郷町として大きく賑わい、酒造など醸造業も多く建ちならんだ。
 元禄年間(17世紀終盤)に藩の奨励で始められた植木産業は、当時大庄屋だった竹下氏が耳納山地で新種のハゼの木を発見、移殖培養したことをきっかけに広まり、産業として定着した。現在でも一帯では基幹産業の一つとなっている。
 古い町の中心は久大本線や国道220号線より北側の街路沿いで、南側は筑後川の支流古川が東西に流れる。町並の西側は商店街となっており、看板のため原形が確認しづらい建物もあるが、入母屋の堂々とした屋根を持つもと呉服店、細やかな意匠が見られる洋風の建物など特色のある町並景観が見られる。途中1箇所屈曲により遠見遮断が図られた街道筋は、さらに東に向っても断続的に伝統的な建物が残っている。やや妻入りの比率が高く、中には二階部分に木製欄干を持つものもあった。
 商店街としては余り活気が感じられないが、調べると定期的にイベント等が行われているようである。一方、古い建物・町並は全く認識されていないように感じる。町並西部の幾つかの洋風建築や店舗建築を中心に何らかに活用し、それを足がかりに商店街を活性化する手はあるかと思う。









訪問日:2016.07.18 TOP 町並INDEX