館林の郷愁風景

群馬県館林市【城下町】 地図
 
町並度 5 非俗化度 7  −東毛地方の中心をなす旧城下町−






 

本町二丁目の町並 右は外池商店

本町の旧二業見番組合事務所




 利根川と渡良瀬川に挟まれた平野部に開ける館林の町。群馬県はこの二つの川の合流点付近まで南東に県域を延ばし、関東地方の中では一見対角線上の県に思われる千葉県とわずか20km足らずにまで接近している。埼玉県や栃木県、茨城県も複雑に境を接しており、地図を眺めていると興味深々たる地域でもある。


西本町の町並




仲町の町並
 

 天正18(1590)年に江戸に入った徳川家康は関東地方の知行割に着手した。それは江戸を防御するための布陣といってよく、館林はいわゆる東毛地区の拠点に選ばれ、10万石を与えられて榊原康政が館林城に入城した。上野国ではその他厩橋(前橋)や沼田、藤岡、小畑、吉井、板鼻など各地に譜代大名を配置し藩を組織させている。
 館林の市街地は地図を見ると低湿地帯にあるかに見えるが、西から東に向い傾斜した地形で坂もあり、城と城下町を構えるに適した地形であることがわかる。城下町の中央に南北の幹線道(日光脇往還)を通させ、直交する東西の中心通りを建設しそれに碁盤の目状に小路を従わせた街づくりが行われた。文禄4(1595)年には数年掛けて城地全体を土居と濠で囲んだ総構えの形が完成し、堅固な城下町が形成されている。館林城大手門を中心に東に武家町、西に町人地を配し町家が建ちならんだ。現在の市街中心はその旧町人町がその基盤である。
 古い町並が連続して残っている箇所はそれほど多くないが、それでも3・4棟伝統的建築が並ぶ一角もある。それらはいずれも切妻平入りの形を取り、間口が狭く奥行の深い都市型町家の姿を示していた。関東地方らしい厚い屋根と大きな鬼瓦を載せた建物もある。看板建築の残る旧日光脇往還より西に折れ、本町から西本町、さらに南側の中町にかけての界隈である。
 旧日光脇往還より少し東に入ったところにある本町二丁目の外池商店は古くから醤油や酒の醸造業を営んできた大店だ。そこから南に下った所にある豪華な破風が印象的な建物は旧二業見番組合事務所という。芸妓業と料亭業の双方を司っていたことからそう呼ばれていた。昭和13年建築と比較的新しいものの、城下町以後の賑やかさを語り伝えるものとして貴重な存在だ。
 なお時間の関係で探訪を省略したが、旧城地の東側にも大手町界隈の長屋門や土塀の散見される旧武家地の町並、城町界隈には数棟の伝統的な重要建造物が一部は移築され保存されている。東には城に接する沼という意味だろうか、城沼が穏やかな風景を展開させ、市民の憩いの場所となっている。
 それらの各地区を結ぶ散策ルートが町中の所々に図示されている。地味ながら旧城下町を意識されている姿は好感が持てた。
  
 




大街道一丁目の町並 西本町の龍神酒造


訪問日:2008.10.11 TOP 町並INDEX