田原本の郷愁風景

奈良県田原本町<陣屋町・商業都市> 地図
 
町並度 6 非俗化度 7 −環濠集落の名残を留める町−




 奈良盆地の中央やや南寄りにある田原本町の中心部は周囲の大都市近郊型の住宅地が叢生している中で、浮島のようにこの町本来の古い家並を頑なに残している。街路は碁盤の目状であり、車一台がやっと通れるほどの幅である。それだけでこの町の古さを充分物語ることが出来る。
魚町付近の町並



 



 材木町の町並。この辺りには重厚な町家が固まって見られます。 材木町の町並






浄照寺に向う町並 浄照寺付近の町並






祇園町の町並  材木町付近には環濠の名残が水路としていまでも残り、清い流れを保っていました。
 

 この町は中世にこの地域に多く存在した環濠集落の名残がある。防衛上の措置として集落の周囲に濠を巡らしたものである。田原本では3つの環濠集落が存在していたといわれており、その一部は現在でも水路として明確に残っている。
 この環濠集落を基盤として江戸期には町場が築かれた。維新まで田原本を統治した旗本・平野氏の功績が大きかった。当初は現在浄照寺や本誓寺のある一角を中心に寺内町的な性格を持つものであった。この周囲3町四方は諸役免除の地で、周囲に土塁が巡らされていたという。
 この寺内町の東北側に平野氏は陣屋を構築し、寺内町の周囲を取囲むように「外町」が形成されている。当時の文書に八幡町・材木町・三輪町などの名が見える。また大和の大動脈であった中街道の通る町であり、大和川の水運も近いため大坂との利便性もよく、高市郡今井町(現橿原市)にも匹敵するほど商業が集積したという。
 浄照寺の東側一帯を中心に古い商家が連なる町並が残る。それらは壁が重厚な造りで、繁栄を物語っているようだ。所々に塀で囲まれた豪壮な屋敷型の邸宅も残り、今井に相当する裕福な町であったというのがわかる。
 複雑に入組んだ街路の辻には、かつて交通の要衝だったことを示すしっかりした石造の道標、それを曲るとまた中二階の町家の連なる町並が展開していたりと、この町の散策には迷路散策的な楽しさもある。そして一角には今でも、環濠集落の名残の水路が残り、その両岸は古い石垣と土蔵に囲まれ風情溢れる水際の景観を残していた。


訪問日:2004.07.18 TOP 町並INDEX