俵山の郷愁風景

山口県長門市<温泉町> 地図
町並度 5 非俗化度 4 −湯治場の雰囲気を残す山間の温泉地−



 長門市の温泉場というと湯本温泉が有名であり、青海島や秋吉台、萩市などへの観光の拠点として通年賑わいを見せ、ビル旅館も多数立地している。
 その一方で市域の西の外れ、山懐に開ける俵山温泉は今でも鄙びた湯治場といった雰囲気を残していると聞き訪ねてみた。
俵山温泉の旅館街






旅館街の町並 多くが一昔前を想起させる木造建築で占められています。






木造三階建の旅館
 


 長門市内でありながら瀬戸内海に流れ込む木屋川の上流域となっており、どちらかというと下関方面とのつながりが強い。先の湯本温泉と比べると地味な印象であるが、近年の温泉人気のためか日帰り入浴で訪ねる客が絶えず、温泉街は賑っていた。車での日帰り客は専用駐車場まで離合の困難な温泉街の中を走り抜けなくてはならない。せめて温泉街入口の手前に設けてくれれば湯浴み客と車が鉢合せすることもなく、のんびりと温泉情緒を味わえるのだが。
 その狭い温泉街には伝統的な建物の旅館も幾つか見られる。RC造りの味気ないホテル建築が全く無く、木造の温かさが伝わる湯治場というに相応しい町並だ。中には古めかしい木造三階建の宿屋も残っており、それらが全て現役で営業中であるため古色蒼然といった雰囲気ではない。通りに向って掲げられた看板も一昔前の風情で、時代の逆行を感じさせる。
 歴史は古く10世紀頃に発見されたとされ、江戸中期には萩藩主が頻繁に湯治に利用していたという。江戸末期の安政年間には年に1万3000人余りの客数があった。萩藩の本陣を中心に温泉場が栄え、人々の集まる町場であることから酒屋や酢醤油などの醸造業者、紺屋や鍛冶屋なども立地した。
 ここの温泉の特徴はまず大半の旅館に内湯がないことで、宿泊客は共同浴場で湯浴みを行う点である。これも湯治場としての位置付けが強かったことを物語るものか。経営的にも、江戸期から戦後しばらくまで吐取制度と呼ばれる独特の仕来りがあった。これは収入が平均を超した宿屋は平均まで吐出して、平均以下であった宿の穴埋めをするというもので、ここの旅館群は相互扶助を行いながら長年営業を続けていたのである。昭和39年には俵山温泉合名会社が発足している。
 現在旧本陣の流れをくむ町の湯、少し離れた位置にある川の湯の二つの共同浴場があり、人々の流れはその周辺が中心である。木屋川支流の流れに沿った傾斜地で平地が少ないことも、密集した旅館群が立地し、それが大きく建替えられること無く残った理由なのだろう。


訪問日:2004.09.20 TOP 町並INDEX