丹波市町の郷愁風景

奈良県天理市<商業都市・宿場町> 地図
町並度 5 非俗化度 9  −伊勢への街道にも面していた商業都市−




 




丹波市の町並。旧上街道沿いに伝統的な町家が残っている。


 天理といえば今では宗教の町というイメージが先行する。近鉄の駅も支線のものとしては大きく、構内も広い。それに接するJR桜井線も高架駅となっており、町の規模の割に構えが大きく、各種行事の度に多くの人々がここに集うことを示している。駅前も宗教関連施設が目立つ。普通奈良県では古い町並のあるところはその周囲からも何がしかの雰囲気が感じられるものだが、駅前付近は古い匂いがしない。
 丹波市町はその駅前からわずか徒歩10分足らずの位置である。平安時代の丹波庄に発端し、古くは単に丹波と呼ばれていた。「市」の名の通り市場町としての栄えがこの町の礎であった。
 江戸前期から丹波市は繁栄を示し、元禄期から既に商業都市としての体裁を誇る記録がある。大和盆地を横切る上街道にも沿っていたことから元々人の往来も盛んだったことも好条件だった。この街道は伊勢にも通じており、伊勢神宮への「おかげ参り」が盛んになるにつれて宿場的な要素も加わり、各種商店が並んでいたという。寛政年間には160軒の家々のうち100軒が屋号が附された商売人だったというのだから、これは大変な商業都市だったのである。
 天理駅の南、国道25号線より南の一帯が旧丹波市町だ。古い町並は町の東部、南北に伸びる一本道に沿って、ほぼ展開している。この道筋が旧上街道といわれ、途中で不自然に直角に曲る箇所がある。これは宿場町であったことを証明しているかのようだ。この付近を中心に、切妻・平入り・袖壁の典型的な町家がある程度の連続性をもって残っていた。漆喰に塗りごめられた塗屋造りである点は多くの町家で共通するが、二階の立上り高さ、軒線、また二階部が格子であったり虫籠窓であったりと、統一感がない雑然とした町並であった。しかしそれだけに探訪者には面白い。街路も広くなったり狭くなったりと一定しない。そうした所にも両側に伝統的な家々が残っているので当時からのものなのだろう。道路が広くなった所にある、妙な屋根付きの構造物がこの町並を象徴しているようであった。
 古い町並として認識されているような色は全く感じられない。位置からいっても今にも再開発等で根こそぎ失われてしまうような危惧感を抱かせる町並である。




丹波市名物???街路の半分以上を占める屋根付の構築物が古い町並の中に残っている。かつてのアーケードの跡か。

訪問日:2005.12.11 TOP 町並INDEX