原町の郷愁風景

愛媛県砥部町【在郷町】 地図
町並度 3 非俗化度 10 −松山城下と砥部を結ぶ街道に置かれた在町−








砥部町原町の町並



 砥部町原町は松山市郊外に位置し、焼物で有名な砥部町中心部よりは松山市街寄りにある。砥部川右岸の河岸段丘上に街道集落的に開けた町である。
 17世紀後半の天和年間に大洲藩主の命により在郷町に指定され、原野であったこの土地が開墾され町場化されたという。後に海産物をはじめとして酒や麹等の売買も許可され、商家が立地し始めた。江戸も後期になると大工や樽屋、鍛冶職人なども存在し周辺地域の商工業の中心となっていた。
 砥部川との合流点付近の重信川にかかる橋を渡ると松山市域から砥部町に入り、この付近がかつて原町である。古くは北側を麻生村、南側を宮内村と呼び、通称名でそれぞれ上原町・下原町と言っていたらしい。松山市中心部から頻繁にバスの便がある郊外地区であり、所々に古い建物が残っているものの連続性は淡かった。というより新しい住宅地は周囲の団地などに移ってしまい、この旧道沿いは寂れてしまったようだ。新しい建物は少なく、古びた建物が歯抜け状態で残っているという状況だった。
 残った家々は平入りで、街路に面して出格子なども比較的よく残り、渋い黒光りする銀色の屋根瓦を載せた町家であった。これがもう少し数多く、また少しでも連なった箇所があれば古い町並としての価値も見出せるのであるが、質は決して低くないだけにちょっと残念な町並であった。
 この町は司馬遼太郎著「南伊予・西土佐の道」の中で次のようなくだりを見出し訪ねた次第である。

途中、道幅はせまく、両側の町屋は古い街道沿いの商家の風をのこし、町並そのものに重厚さがある。
「ここは何という地名ですか」
「原町というんです」


 この「南伊予・西土佐」編の紀行は1978年頃行われたらしい。既に約30年が経過しているので、家並が大きく更新されていても不思議ではない。しかも都市部の近郊である。
 しかしその変化が郊外住宅地化の方向ではなく、過疎化の方向であったことは寂しい。




訪問日:2008.02.11 TOP 町並INDEX