奈良公園の西をかすめて南北に走る現在の国道369号は、もとは平城京の東京極大路にまで遡る。京を結ぶ往来としても発達したので京街道とも呼ばれた。町の東端の街路で奈良の入口にあたることから、早くも戦国期には今在家市などの市場町が興っていた。また旅籠の多さが特筆され、旅宿郷として賑わった。また奈良の北口に位置していたことからしばしば戦乱の舞台ともなった。
江戸時代はこの界隈の今在家町、手貝町、今小路町などは奈良町の一部に含まれていた。初期は街路の東側が東大寺の築地であったことから西側のみに町場が展開していたが、慶長年間あたりから後には東側にも家々が建ちならぶようになったという。今小路町の記録では、質屋・薬種屋などの商人のほかに旅籠13軒があった。
現在は道路が拡幅されバス通りとなっている。古い構えの醤油商、虫籠窓やうだつを持つ旧家などが見られるが、南は奈良公園にも通じているため通行量も多い。
その国道筋から一本東に入った水門町界隈。古くは東大寺境内に含まれていたといい、町名は寺内に水を引くためにここに水門が設けられたことに由来するという。江戸期は東大寺領であったが、奈良町の一つとして取扱われる事もあった。商家もあったが、寺社関係の職が多く京街道沿いとは異なり門前町的な様相であった。
現在の風情も国道沿いとは打って変わり、観光客の姿もほとんどなく閑静な一角だ。奈良公園−東大寺と市街地との狭間に位置し、穴場的とってよいところだろう。
塀を巡らせた屋敷が連なり、門前外らしい風情を色濃く感じることができる。
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