塔寺の郷愁風景

福島県会津坂下町<宿場町> 地図 
 
町並度 4 非俗化度 10 −盆地の縁端 追分の宿駅−
 





塔寺の旧越後街道沿いの町並


 会津坂下町塔寺は会津盆地の西端、山間に入ろうとする位置にある旧越後街道の宿場町。会津と越後を結ぶ越後街道はここで只見川沿いに南下する沼田街道を分岐する追分の宿ともなっていて、当時の道標が今でもはっきりと原型を保っていた。
 宿場町らしく家並は東西に長く1.5kmも連なっていた。但しその間連続して旧旅籠などの建物が連続するのではなく、農村集落的に適度な間隔を置いて家々が続いているのが特徴である。そのため見応えにはやや欠ける向きがあるが、所々には会津特有の土蔵建築、また近世まで旅館として宿駅の往来を支えてきた妻入りの木造建築、一部に茅葺の旧家も残り、古い町並としては全く知られていないだけに、その存在価値を感じさせてくれる。
 隣家との間隔が広く散在的なのは農村集落の性格も帯びていたからで、江戸時代から米麦をはじめ豆、芋、粟、稗、煙草などを主産業とし、蝋生産も盛んだったという。その傍ら宿駅として宿屋を経営し、駄賃稼ぎをしていた。越後街道は主要街道というほどではなかったため参勤交代などの重要通行は少なかったが、隣宿への人馬継立て、また追分の宿としての賑わいはあったようだ。嘉永5(1852)年会津を歴訪した吉田松陰がここに宿泊したという記録もある。
 地形的にも広々と開けた会津盆地が終わり、これから越後や上州に向けての山間の隘路に差しかかろうかというところ、旅人の多くはこの宿で旅装を解いたであろう。宿場町が成立するにふさわしいところのようだ。塔寺宿を物語るものは先に書いた道標一本であり、案内板一つない。残った土蔵や旧家の保存とともに外来者を誘導する目印をもう少し整備してもよいように感じられた。




屋根を持上げたこの地方独特の土蔵 これは旧旅館建築か。




街道に接する民家の裏手の土蔵 旧越後街道沿いの町並

訪問日:2005.05.20 TOP 町並INDEX