戸隠の郷愁風景

 長野県戸隠村【宿坊群・信仰町】 地図 <長野市>
 
町並度 5 非俗化度 4  −長らく独自の自治が行われてきた信仰の山−

 戸隠山の中腹に存在する戸隠三社(奥社・中社・宝光社)は古くから信仰の対象であり、修験の地であった。
 三社が展開するのは標高1000mを超える土地で、その北は新潟県に接している。
戸隠中社の本殿
 

 平安時代から戸隠山全体が信仰の対象となり、修験者・修験僧の鍛錬の場であった。高原に位置し水源にも恵まれぬことから、集落立地には適さなかったが、早くもこの頃から修験者とそれに携わる者の定住者が現れている。
 戸隠三社には御師(寺に起居し、参詣者−ここでは修験者−を案内して宿泊・参拝の世話をする者)が多くおり、彼らの活動が特に中社・宝光社において経済的基盤を形作ったとされており、その存在は大きかった。江戸時代には、御師家は信濃国内のみならず越後・佐渡国をはじめ周辺各国に多くの信者を保有していた。
 また中社・宝光社は戸隠信仰と結びついた村々の講や組との間に「霞」と呼ばれる経済的基盤を置いており、門前集落の発達に大きく貢献したのだが、慶応4(1868)年の神仏分離令により、社僧と呼ばれた僧たちが俗世間に戻された。長野県が成立し、県は神官の民籍編入もすすめ、このことで霞を土台にした経済は失われた。二社による独自の自治は終了し、戸隠村と称されることとなった。
 この門前にたどり着くにはどの方面からもかなりの高度差を登ることになる。中社の大鳥居あたりが人々の訪れの中心で、現在は蕎麦などの食事どころ、旅館などが見られるが、かつては多くが宿坊であった。中には寺院のような堂宇を持つ格式高い建物もみられるが、これは近年になって客の収入から建立されたものだろう。参詣者・そして観光客からの潤いによって町が建物が更新されていく、この構図は中世・江戸の頃から変わらなかったことだろう。
 古い町並というよりは、それらもと宿坊の厳かな建物が建ち並ぶ宗教集落であるが、他カテゴリーの町並にはない独特の雰囲気を持っており、その意味でも価値が高いものである。
 
 




中社門前の町並


 


中社門前の町並




宝光社附近にも小規模ながら門前街が見られる

訪問日:2014.09.15 TOP 町並INDEX