東金の郷愁風景

千葉県東金市<在郷町・街道集落> 地図 
町並度 4 非俗化度 8 −九十九里地方の中心として発達−










東金の町並


 東金市は千葉市の東約20km、市街中心は太平洋岸まで約10kmの房総半島北部内陸に位置し、外房線と総武本線を連絡する東金線の沿線となっている。
 戦国時代には酒井氏が領する城下町が形成され、現在の町の基盤が形作られた。江戸に入り東金城が落城すると幕府の直轄領に組入れられ、徳川家康による御殿が設営された。これは家康の鷹狩の用邸を目的としてのもので、その往来のための街路も整備された。御成街道と呼ばれ、船橋からほぼ一直線で東金までを結んだという。東金御鷹賄組合という組織が近隣の多くの村々を含めて組成され、鷹狩が行われる際には地元民の鳥猟をはじめ殺生が禁じられた。
 御成街道の存在がこの町に商業の発達をもたらした。街道は東に延長されて九十九里の海岸部に達し、海産物が東金に集結するようになった。それらは御成街道を経由して江戸方面に運ばれた。多くの問屋が建ちならび、「上総の黄金町」とも称されたという。
 明治以降、養蚕業など産業の発達により生繭商の拠点となり、また味噌醤油、米、大豆等の物産にも恵まれ商業町としての隆盛期を迎える。明治33年東金線が開通すると郡庁舎や警察署等の機関が置かれ、九十九里地方の中心として位置づけられた。
 東金駅の北西に連なる通りに沿い上宿・新宿等の地名がバス停などに残っており、これが旧御成街道であったのだろう。宿駅であったという明確な記録は見られないようだが、古い町並はこの街路沿いに展開しているため、街道そしてその往来により町場が発達したことがわかる。
 関東地方らしい大きな鬼瓦を載せた旧家や、洋風の建物が見られるが、連続した見応えのある町並としては保たれていない。ただ登録文化財になっている建築などもあるため、それらを前面に出すのも一法かと思われた。

訪問日:2016.04.30 TOP 町並INDEX