戸出の郷愁風景

富山県高岡市【在郷町】 地図
町並度 5 非俗化度 9  −街道の結節点にあった古い町−




 戸出地区は現在高岡市の郊外の一角を占め、城端線が通り駅が設けられており、その南西側に市街地が展開する。
 古くは北陸道(北国街道)がここを経由していたが、17世紀初頭には早くも高岡城下を通るルートに改められ、以後は通称上使街道と呼ばれた。この北陸道の脇道と砺波平野南部から高岡とを結ぶ南北の高岡街道が交差する位置にあり、在郷町として賑ったところだ。
旧上使街道と高岡街道の交差点
 

 
 江戸期の初め頃には上使街道に沿い村が成立していたとされ、定期的に市も開かれていたという。当時は灯油田、戸田とも記した記録もある。これは古い時代に付近で胡麻油や菜種油の生産が盛んだったからといわれる。灯油とは当時灯りを点すのに使用していたそれらの油のことを指している。
砺波平野では最も早くから町場化したところであり、後に高岡の発展により衰退したものの、政治的、経済的にもまた交通、文化の面でも地域の中心的役割を持っていた。承応3(1654)年砺波地域最大の御蔵が加賀藩によって置かれたこともそのことを象徴している。高岡の市街地に流れ込んでいた千保川には船着場が設けられ、荷を積んだ舟が上下していたという。
 また麻が特産品として知られ、加賀藩が買い上げて京坂地区などに販売されていた。
 現在でも二つの旧街道交差点付近は大柄な商家らしい建物が残っていて、そこから主に東西の旧上使街道沿いに古い町並が連なっていた。上使街道沿いに西町・中町・東中町・御蔵町・東町などがあり、高岡街道沿いには北町・寺町・馬場町・南町などの町名があって、紺屋・質屋・造り酒屋・塩売捌商など多数の商家があったといわれる。伝統的な家屋は街路に向って正面が開放的になるつくりとなっているものが多く、多くが商いを行っていたであろうことが感じられた。出桁・袖壁付で真壁の意匠の二階部分など、この地方で見られる標準的な家々の造りであった。
 高岡の郊外地の一部となっているが、独立した町であったことは一目でわかる。
保存活動は全く行われていないようであったが、その価値もある町並だ。
  
 




旧上使街道沿いの町並



旧高岡街道沿いの町並




旧上使街道沿いの町並


訪問日:2008.06.07 TOP 町並INDEX