小奴可の郷愁風景

広島県東城町【産業町・在郷町】 地図  <庄原市>
 
町並度 4 非俗化度 10 −鉄穴流しで栄えた町 山間の小盆地に開ける−




小奴可の町並 赤瓦や妻入り形式の家々が見られる
 

 小奴可(おぬか)は高梁川水系の東城川の上流域に開ける小さな盆地にささやかな集落が展開している。戦国期には亀山城が構えられ、小奴可氏と称し後に毛利氏の家臣となったといわれる。
 現在では幹線交通から外れ、また町の中心が東城に集約されて5分とかからずとも歩ききってしまうほどの小さな集落であるが、江戸時代には大層栄え、『芸藩通志』によると伯耆との国境に望む位置であることから番所が置かれた重要な地であり、また市場が定期的に開かれ、農間に薪炭を生産す、と記されている。
 後に砂鉄採取が盛んになり、中国山地一帯で行われた鉄穴流しが産業化した。明治以降も続き、同16年の鉄穴数は域内で120余りを数え、製鉄のためのたたらと呼ばれる炉を稼動させるため、炭焼も盛んに行われた。一方で砂鉄採取により川に大量の土砂が流出することにもなり、東城川下流の地区に被害が及んだ。県境を越えて流れる川であったこともあり、岡山県から県境変更の打診が帝国議会にされていたほどだという。
 山間部ながら賑やかな町で、一時は4000人ほどの人口を擁していた町も戦後しばらくして急激に過疎化が進行し、今では5分の1以下となっている。東城川の流れに平行に連なる家並は、商家だったであろう建物も残り歴史を感じるが、最盛期には厳かに連なっていたに違いない。
 街村的に一直線に連なる町並は一部連続性も感じられ、特徴的なのは赤瓦を葺いた家屋が目立つことだ。山陰とのつながりを感じさせ、伯備国境の町であったことを感じさせる。また妻入り家屋の連なる箇所もあった。
 忘れられてしまいそうな山間の小さな町並であった。
 







訪問日:2010.10.17 TOP 町並INDEX