外川・長崎の郷愁風景

千葉県銚子市【漁村】 地図
町並度 5 非俗化度 7 −ローカル私鉄の終点に開ける素朴な漁村−
 






 
外川の町並 街路は漁村らしくなく碁盤目状に直交する






海岸線と平行な横の通り 
港に向う縦の通り  


 銚子は利根川の河口とともに半島状に太平洋に向けてせり出した位置にある町で、関東地方を代表する漁港の一つである。海洋の影響を受け気候が穏やかで寒暖の差が少なく、避暑や避寒に適し、明治時代から保養地などが立地し観光要素の強い町だった。また海上交通の要所として、奥羽地方をはじめ各地から廻米をはじめ物資の出入りがあった。荷はここで利根川水運に切替えられて江戸へと運ばれていった。また醤油の町としても知られるのも、摂津西宮や紀伊湯浅などの醤油醸造の先進地から、廻船によって伝えられたものといわれ、海との深いかかわりを持って発展してきた町である。
 ここでは市街地より少し離れた素朴な漁村を紹介したい。
 銚子駅のホーム先端に銚子電鉄の乗り場がある。この外川・長崎にはこの鉄道の終点付近にあり、犬吠埼の南に位置する。
 外川は低い台地がゆるやかに海に没しようとする地形の上に集落が展開する。太平洋の荒波をまともに受けるところであるが、集落を成す地形が穏やかなため、厳しさは余り感じられない。日本海でなく太平洋ということもあるのだろう。等高線に沿って伸びる海岸線と平行に走る路地と、坂道の海岸に向う路地で構成された、漁村としては意外なほどに統一された街路が巡っていた。但し斜面が緩いとはいっても一直線に海岸に下りているので結構な急坂で、海岸線に平行な方の道には一段下の民家の屋根と高さがほぼ揃っている。寄棟または切妻の屋根は、さすがに潮風に長年晒されたように白っぽく、瓦が漆喰で間詰めされたものも少なくない。太平洋とは言えここは外海である。
 この外川は江戸時代ら外川湊と呼ばれていた漁港で、万治元(1658)年紀伊の崎山次郎右衛門が地元の漁法を伝えて以後、6年余りを費やして港が開かれ、碁盤目状の町割を行ったのだという。その頃には既に千軒を超える漁家があったといわれ、その中には紀州から移り住んだものも多かったという。
 外洋に面した港なので、遠洋漁業を営んでいたものと想像しがちだが、意外にも近海の鰯漁が中心であり、それらは食用よりも魚油や農産物の肥料として用いられた干鰯とされた。「利根川図志」では外川から長崎にかけては漁舟の出入りが頻繁で、浜辺では昼夜を分たず老若男女が干鰯作りに励んでいるとある。
 長崎は低平な集落で、外れには長崎鼻灯台があり、いよいよ太平洋に突き出した地形にあるためか付近の浜も荒涼とした雰囲気があった。民家の背は低く平屋が多く眼につくのも、やはり風対策なのだろうか。現在は海側に頑丈な護岸が築造されているが、かつては家並のすぐ前を波が洗っていたらしく、練石積が一部に残っていた。厳しい自然と対峙してきた集落であったことがわかる。
 この両漁村集落を訪ねるには、やはり銚子電鉄の利用をお勧めしたい。年代物の路面電車のような小さな電車は、銚子の市街地から長閑な畑地が広がる台地の上に抜け、犬吠埼灯台と太平洋を望見しながら終点外川に着く。
 




長崎集落は三方を太平洋に囲まれている 波風の防御のための石垣が所々に残る




郷愁を感じさせる銚子電鉄が外川まで伸びてきている

訪問日:2006.11.04 TOP 町並INDEX