富津の郷愁風景

長崎県小浜町<漁村> 地図 <雲仙市>
 町並度 6 非俗化度 8 −穏やかな湾に恵まれた島原半島随一の漁村集落−





平地が全くない富津集落。石垣が多用された斜面上集落だ。




 

 富津は、島原半島の付け根から西海岸を少し南下したところに開ける漁村である。この集落を含む小浜町は温泉地として知られ、雲仙の西の玄関として観光客の訪れが絶えない地区である。島原半島観光の幹線である国道57号線に程近いところに、全く観光地化されていないこの漁師町が展開している。
 諫早方面から南下した国道57号線は、田園地帯を経て半島の西側に回りこみ、千々石川に沿ってやや内陸に入ると、そこから小さな峠となって海岸を見下ろす位置がある。右手には半円形の湾に囲まれた、穏やかそうな集落が見下ろさせる。典型的な漁村集落の俯瞰図である。
 この富津は国道が近くを通らず、険しい地形のもとに原型を崩されなかったことで、島原半島における漁村集落の姿がよく保たれている。
 集落は湾から擂鉢状に這い上がってくる斜面に密集している。擂鉢が約1/3に欠け、そこに海水が浸入してきたような地形である。その中央でやや丘が張出し、その尖頭付近から左右に甍の連なりが駆け上がっているのが見渡せる。
 集落内に入ると、斜面を制覇する様々な苦労が見て取れた。多くは石垣によるもので、大小さまざまな石を乱積みしただけのものや、ある程度整形した石を規則正しく積上げたもの、モルタルなどで練積にした頑丈なものなどさまざまで、それらで宅盤が作られ家々が建てられている。隣り合う家が同一平面上であることはまずない。
 路地も港に沿った一本と、集落の上端を結ぶ道路のみ乗用車が入れるだけで、集落内はごく一部に軽自動車の通行が許されるだけの極めて狭いものだった。階段となっている箇所も多い。
 それでも家々はある程度更新されていて、前近代的な雰囲気は淡い。ここでは表向きの印象とは違って、漁業を専業としているお宅は少なく、長崎市・諫早市・そして雲仙や小浜などの温泉街で働く家庭が多い。しかしかつては島原半島西岸の近海漁業の一大基地として、煮干にする鰯漁や、地引網などで生計を立てていたという。数軒の網元に多くの網子が付き、集落が一体となって機能していた。
 




路地は乗用車の入り込む余地がなく、迷路状に家々の間を上り下りする。




 昭和40年代に入るとそうした組織も徐々に薄らぎ、サラリーマン家庭が増えていったようであるが、港の一角にある「六角井戸」は漁師町としての深い歴史が刻まれているものとして貴重である。文字通り六角形をした古井戸で、「弘法大師お助けの井戸」とも言われている。地形的にも水資源に乏しかったこの集落では、近年に至るまでこの井戸が唯一の水場でありまた社交場でもあったという。井戸の周囲は石が大きくくびれている。これは水を汲むときの縄が長年喰い込んでできたものだそうで、これを見ただけでもこの井戸がいかにこの集落に深く根ざしたものだったかを知ることが出来る。
 ここには戦前、諫早から軽便鉄道が通っていた。小浜温泉とを結んでいたもので、先に触れた集落の上部を通る道はその軌道を利用したものである。急坂を避けるような線形や、断面の狭いトンネルが残っているなど、かつてここを鉄道が通っていたことを想像するに充分であった。
この六角井戸は貴重な水源だった。社交場でもあった。


訪問日:2005.07.18 TOP 町並INDEX