鞆の郷愁風景

広島県福山市<港町> 地図
 町並度 7 非俗化度 3 −雁木や常夜灯など多くの遺構が残る代表的な港町−

               

 福山市中心部より車で30分ほど南に位置する港町鞆。ここは鎌倉時代以来の非常に古い歴史を持つ港であり、小高いところより見下ろすといかにも良港といった地形であり、その理由がわかる。上関、蒲刈、牛窓、室津などとともに瀬戸内海上交通の要所として西回り航路の寄港地となった。当時の常夜灯、雁木(石垣製の船着場)もそのまま残り、今でも漁船が多数碇泊する様子は古い港町の趣を十二分に残している。
鞆を象徴する港の風景
 

 
 歴史資料館のある小高い丘より南側が古い時代からの港町であり、特有の細い路地、間口の狭い家が続く。この地区で一際目を引くのが港にも近い位置にある太田家住宅であろう。古くは参勤交代時の西国大名の宿泊所としての役割を果たした。そしてもう1つ、ここは幕府から特産の「保命(ほうめい)酒」の製造許可を得た家の一つであった。
 保命酒は薬草酒の一種で、明治になり競争が激化すると当家での製造は中止されたが、当時の醸造所は土蔵とともにそのまま残り、重要文化財に指定されている。また、幕末の密談等にしばしば利用された母屋は、棟札などから18世紀中期の建造とされ、それを取り囲む酒造蔵も江戸期の建築である。これらは先代の保命酒屋、中村家によって建築拡張され、明治期に太田家が受継いだものである。現在でも町中では保命酒屋が点在し、餅米を用いた独特の甘味と薬草の香の漂うこの酒は全国にファンが多い。
 丘の北側は港町の発展に伴い展開していった町並である。船材の鍛冶工などで栄えたこの地区は商家風の建物が多く、入母屋屋根をもつものなど港に接する地区よりも大柄な旧家も目立ち、多くは明治初期頃の建築と見られている。また山裾には寺社も多く、その門前町的な意味合いを持つ地区も存在していた。当時は1つの自治体を形成していたようである。
 鞆には観光客も多く訪れるが、団体客は観光鯛網などを見物し町並の外れにあるホテルで昼食というケースが多いようで、古い町並に団体客はそれほど流入してはいないようである。町並だけでなく港としての構造的な遺構も極めて貴重な文化財であり、原型を保ち今後に伝えていくに十分な歴史的遺産である。
 しかし現在この町は重伝建選定に向けて道路の整備など色々な問題を背負っており、その点が気掛りである。


 




港附近の町並




港より外れた地区にも商家風の見応えのある町家が所々見られる

太田家附近の路地風景(2002・7撮影)
 
※注記の画像以外は2007年12月最終訪問時撮影
 
訪問日:1999.02
(2002.08,2007.12再取材)
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