鳥居本宿の街道風景

滋賀県彦根市<宿場町> 地図 
 
町並度 6 非俗化度 6 −腹薬で有名だった中山道の宿場町−
 

鳥居本の町並 鳥居本の町並




町の北端近くにある「赤玉神教丸」で知られる有川家 有川家付近の町並


 鳥居本は現在の彦根市域の北東部にある。東海道本線はここより琵琶湖側を走っているが、国道8号線、東海道新幹線はこの鳥居本集落近くを通過している。国道の一本東に南北に走る1.5車線程度の道は旧中山道で、鳥居本は宿駅としての長い歴史がある。
 江戸方の番場宿、京方の高宮宿との間に設けられ、本陣1箇所・脇本陣2箇所があった。宿駅の北端近くで二度直角に曲る枡形がある以外は全て直線の街路で、宿場町としては町並の見通しがよい。
 枡形の位置に一際目立つ入母屋の旧家がある。平入りで桁行が非常に深く堂々とした屋根を従え、ランドマーク的な建物だ。これは中山道の道中名物の一つとして有名だった腹薬の「赤玉神教丸」を製造する有川家である。神教とはこの近くの多賀大社の教えによって作られたといういわれから付けられ、今でも製造されている。万治元(1658)年頃の創業というからもう350年にもなる老舗である。最盛期には製造職人や販売人などを合わせ80人もの従業員を抱え、余りに売れすぎたために類似品を商うものすら現れたという。明治天皇の北国巡幸の折に小休所となるなど、この宿一番の名家であった。
 さて、この有川家付近は当時上矢倉村と呼ばれ、南に向って鳥居本村・西法寺村・百々村の4ヶ村が連なり宿場を形成していて、総称して鳥居本宿と言われていた。中心であった鳥居本村の位置では平入り、中二階、袖壁と虫籠窓を有した典型的な町家建築がある程度固まって残っていた。中には屋根にむくりを持つ旧家も見られた。本陣・脇本陣もこの鳥居本村(通称「旧鳥」といわれたらしい)にあった。
 宿駅の南端に道標の石柱が残る。「右 彦根道 左 中山道
京いせ」と刻まれる。彦根道は中山道と彦根城下を結び、さらに南に中山道より琵琶湖寄りを南下している。朝鮮通信使を通した道であるため朝鮮人街道などとも呼ばれた街道だ。
 今では旧中山道は生活道路で、車の通行もそれほど多くなく落ち着いた町並探訪が可能であった。





訪問日:2005.04.16 TOP 町並INDEX