松尾の郷愁風景

高知県土佐清水市【漁村】 地図 
 町並度 4 非俗化度 8 −鰹漁・廻船業で栄えた足摺岬至近の集落−

   

松尾の町並 右は吉福家(重文)


 土佐清水市松尾地区は足摺岬半島の先端近く、外洋に洗われるところながら半円形の入江を持ち古くから漁村として集落が立地した。
 古くは浦方と村方に分れており、所属も浦方は江戸期を通して土佐藩領であったのに対し村方は一時中村藩領の時期もあった。
 土佐沖は江戸初期から紀州渡海船団という漁民衆により盛んに漁が行われたが、特に足摺の浦々へは据浦といって集落に拠点を構える漁民が多かった。中でもこの松尾はその足跡を最も早く残す浦方といい、多くの紀州漁民の墓碑が残る。
 天保年間の『浦々諸縮書』では御米蔵1が記録され、鰹漁船7、諸漁船17とあり漁業で生計を立て、特に鰹漁が基幹産業であった。漁間に畑作を行い補った。また廻船業を営む者もあったという。米蔵の納米は50石で、後に清水御蔵に移すとある。
 入江を持つ良港ではあるが険しい地形で、家々は西岸付近にあるわずかな平地に立地している。漁家というより商家と思えるような家々もあり、廻船などで豊かな生活基盤があったからか。
 吉福家住宅(重文)はそうした漁民のひとつで、廻船商人となり屋号吉福屋を名乗った。特に当地で米が不作であった時、日向細島から玄米300石を持ち帰り販売したことなどが資産の元となり、裕福な商人となった。集落内でもとりわけ大きな邸宅で、明治33年の銘が梁の墨書きにあるとのことだが、残念ながら当日公開はされていなかった。
 北岸付近では高石積によって宅地が造成されており、特有の景観となっている。但し多くは無住又は廃屋となっていた。
 なお、集落内にある松尾天満宮の拝殿には廻り舞台があり、明治頃から地芝居などが行われたという。廻船や鰹漁などで裕福だった村の有り様を示しているようだ。




険しい土地を石垣を高く積上げ克服した姿が見られる




廻り舞台を持つ松尾八幡宮拝殿

訪問日:2019.08.11 TOP 町並INDEX