答志島の郷愁風景

三重県鳥羽市<漁村> 地図
町並度 6 非俗化度 6 −個性的な慣習も残る志摩諸島最大の島−
 



 
答志島は鳥羽港から船で20分ほど、東西に細長い島で答志・桃取の二箇所に主な集落が展開している。古くからほぼ純粋な漁業の島で、現在も島民の80%が漁業に従事しているという。
 古くは鳥羽城主だった九鬼嘉隆が関ヶ原合戦に敗走してこの島に至り、自害したという史実でも知られ、首塚・胴塚が祭られている。 












 

 
ここでは島の東側の代表的な集落である答志集落を紹介する。
 集落の形は典型的な密集漁村集落で、和具港に通じるメインの道路以外は車の通行も困難な路地で占められている。街路は迷路状ではなく比較的整然としているが、一旦入り込むと位置の把握は難しく、また同じところに戻ったりする。
 家々の特徴は木質感が高いこと、そして窓枠などに木製の装飾が見られ、一見旅館か遊里の建物を想起させる。これは漁村集落でしばしば見られるもので、それも裕福だからこのような意匠を持つことができたのだろう。重厚な伝統的建物というよりも、家々の密集度が見応え感が増すポイントとなっている。
 
面白いのが各家の玄関先などに墨で漢字の八の字を○で囲んだ記号(俗に「マルハチ」)が多く見られることだ。通りがかった人に聞いて見ると、これは神社の祭の時に使われる墨を使って記されたもので、魔除けの意味があるのだそうだ。家々だけでなく乗用車や船などに書かれているものもあった。
 また、中学卒業後の男子を世話役の大人が預かって面倒を見るという寝屋子制度といわれる風習があり、民俗学的にも貴重なところといえる。
 民宿等宿泊施設はあるが、土産物屋をはじめとした観光地的な色は全く無いため、素朴な島の集落の風情を存分に感じることができる。
 
 
 
 
訪問日:2016.06.04 TOP 町並INDEX