遠江二俣の郷愁風景

静岡県天竜市<在郷町> 地図  <浜松市天竜区>
町並度 4 非俗化度 8 −北遠地域の入口となる天竜川沿いの町−




 

 

二俣の町並 


 遠く諏訪湖に源を発し、伊那谷を形成しながら南流する天竜川はこの二俣地区で平地に開放される。二俣はいわゆる谷口集落として市街が発達してきた。東海道本線の迂回路として建設された旧国鉄二俣線が掛川と豊橋方面を結び、浜松からは遠州鉄道がここに到達しており、いずれもローカル線ながら小さな拠点となり、また最近には新東名高速も南部を通過し、交通の便はよいところである。
 中世には二俣城が存在した。西に天竜川、東に支流二俣川を挟んだ要害の地に構えられ、二俣の地名も河川が合流するところという意味合いに由来するという。家康の配下が代々城主となっていたが、武田氏の侵攻により攻防が繰り返された。その後家康の関東進出に伴い廃城となったという。
 江戸時代の多くは幕府領で、山地と平野の境界に位置していることから物資が集まりやすく、天竜川の水運もあって物流の拠点となった。上流側の山間部で産出される天竜材と呼ばれる材木、繭などが集められ取引された。北遠州への入口でもありまた秋葉神社への参拝客の拠点ともなったので、二俣の町は大いに賑わった。六斎市として毎月2・7の日に市が開かれ、また享保12(1727)年の記録で酒造家11・石屋3・紺屋4・鍛冶屋3・桶屋1などがあった。
 古くからの市街地は二俣城址の北東、二俣川右岸の平坦なところに南北に細長く展開している。商店街となっているため伝統的な建物が連続しているわけではないが、旧市街地であることはすぐに判別できるたたずまいである。木造三階の旅館建築、下見板張りに瓦葺の和洋折衷の建物などが見られるほか、看板建築も目立ち興味深くたどれる町並探訪となった。昭和の雰囲気が濃厚に感じられる町並といえようか。枝道を少し入ったところには煉瓦蔵のある印象的な路地風景もあった。
 ネットなどを見るとささやかながらそれらの家並や建物を財産と捉え、活用する動きがあるようだ。
 
 
 
 


 


 
   


 


 
   

訪問日:2019.11.04 TOP 町並INDEX