米川の郷愁風景

宮城県東和町<街道集落・商業町> 地図  <登米市>
町並度 5 非俗化度 10
 −北上川支流の小盆地 街道上に商家建物が連なる−




 


大柄な商家建築も複数見られる米川の町並 


 東和町米川地区は北上川の支流・二股川沿いの小盆地に中心市街が展開する。北は山地を境に岩手県と接する。
 江戸時代は最初登米伊達氏の知行地であったが、寛永18(1641)以後は仙台藩直轄の蔵入地となった。
 往時は狼河原村と呼ばれており、支流が合流するところにあったことから物資の集積があったようだ。本町と五日町があり、「安永風土記」では1,700人余りの人口を数える。煙草、真綿、酒、紅花を産し、特に煙草は当地産をもって上品とするとされていた。
 太平洋岸の本吉とを結ぶ道から北へ磐井郡千厩宿へ向う街道が分岐するところで、街道上の要地としても発達しており宿駅機能もあったものと考えられる。寛永18(1641)年の登米郡狼河原村検地帳では、本町・五日町ともに32軒とある。
 当地で特筆されるのが隠れキリシタンの存在があり、伊達氏の保護のもと一時拡大したが、やがて弾圧や迫害が行われ、この地域や現在の岩手県にあたる東磐井郡一帯に身を潜めた。
 国道346号が二股川左岸に迂回し、旧市街地は面的な広がりを持つが、大柄な家や商店はバスも通る街路沿いに見られる。途中で街路の屈曲が見られる昔ながらの姿を留め、街道集落らしい佇まいを示していた。その付近には海鼠壁を纏った店蔵に重厚な母屋が並んだ旧家があり、瓦葺きの門の奥には土塀に囲まれた広大な裏庭を有する邸宅が存在感を放っていた。またそこから北側では商家を思わせる家々が連続した個所もあり、古い町並らしい風景が残されていた。
 一方南側に足を向けると、商家・町家から商店街に変り、看板建築が連なる一角もあった。現在も営業されている店舗もあるが、以前はかなり賑わいを示していた様子がうかがえた。
 








看板建築の連なる一角

訪問日:2022.07.17 TOP 町並INDEX