四方の郷愁風景

  富山市四方<港町・漁村> 地図
 町並度 4 非俗化度 8  −富山藩随一の港町として発展−













四方の町並
 神通川の河口左岸付近、富山湾に面する位置に四方地区がある。地名の由来は左岸にあたる土地が崩壊していき、四つの潟が形成されたことによると云われている。
 江戸時代は最初加賀藩領で後に富山藩領となると、八尾や西岩瀬とともに藩下三宿と呼ばれ発展していった。西岩瀬とともに交易港として重視され、領内の米はここから大坂に向けて積み出されていった。さらに嘉永年間(1850年頃)には能登から蝦夷地に至る交易路も開かれ盛んに取引が行われた。商船の発着も盛んになり、舟見御番所が設置され出入りする船の改めが行われた。このように富山藩にとって最も重要な港津として発達を遂げた。
 また漁業は沿岸漁業中心で、藩は公設の魚市場を設置し個人の売買を禁じていた。魚商いのほか商業は売薬商、茶などが取り扱われた。
 江戸期の内に町建てされ、明治22年には周囲の1町3村を合併した。大正8年の記録は商業351戸、漁業288戸とある。大正末期より越中鉄道が富山市中心部とを結び、大消費地富山とが直結されまた伏木と北海道・樺太とを結ぶ航路も寄港したりと、この頃が四方にとって最も繁栄していた頃といえる。
 現在の四方地区は神通川河口からは少し西に外れ、河口に近い辺りは工業地帯となっている。碁盤目状の整った土地割になっているのが特徴で、しかも街路も比較的広く、漁村のような雑然とした印象は全くない。古い建物の比率は余り高くないものの、出桁の二階部を持つ小規模な商家風建築、土蔵、商店などが散見され、町並の西を押えるように四方神社、その南に長福寺が厳かな佇まいを見せていた。
 

訪問日:2023.07.15 TOP 町並INDEX