豊島の郷愁風景

広島県豊浜町<漁村> 地図 <呉市>
 町並度 5 非俗化度 10 −遠洋漁業が盛んな漁村の密集集落−
 


豊島集落。橋の向い側は大崎下島。
豊島は屋根並が重なり合う密集集落である。
 

 豊島は瀬戸内海中部にあり、呉市仁方地区の南にある下蒲刈島から東に連なる列島の一部である。島はほぼ円形に近く、ほとんどが山地で占められ平地は少ない。東隣の大崎下島との間に架橋されているが、本土からの陸路はない。
 農業は水利に乏しいことからほとんどが柑橘の栽培で、霜降の少ない島特有の気候を利用した温州蜜柑の栽培が中でも盛んである。この周辺の島では漁業はほとんど行われず、島の農村となっている所も少なくないが、この豊島では漁業も盛んであり、町並では漁村的な風景が展開していた。
 この島の周辺では古くからイカリ漁業という独特の漁法が取られていた。それは冬場にこの海域に飛来するアビ鳥を利用したもので、イカナゴ等を捕食するアビ鳥が群れる海面を狙い、集まってきた鯛やスズキを獲るものである。
 明治以降は漁業の町として大きく発展し、九州西部海域をはじめ西日本一帯に出漁するようになり県下有数の漁業経営体を持つほどに成長している。はえ縄、一本釣などで、多くが夫婦単位で、数ヶ月にわたり出漁する遠洋漁業であった。
 集落は東岸の橋が架かっている付近のみで、港や役場、学校等の施設は全てこの地区に集中している。わずかに広がる平地は全て家屋で埋まり、一部斜面を駆け上がっている。このような狭い土地利用のためほとんどが車の入れない路地となっており、アメーバ状ともいえるほど無秩序に張り巡らされていた。生活道路なのか個人宅の進入路なのか判然としないものも多く、また入り込んだら行止りとなる袋小路も多い。初めて訪ねると全く要領を得ない。
 もともとが簡素な農漁村集落であるため豪勢な造りの家屋は少なかったのだろう、家々は比較的近年建替えられたようで、見た所古いものでも大正から戦前にかけてのものと思われた。旧家そのものより路地風景が特徴的な町である。木造家屋の多くでは、路地に面して木製の手摺の付いたテラスが設けられ、歓楽街を想起させるものがあったが、これらはおそらく物干し台と思われる。家々が密着しているため日照にとぼしく、このように街路に面して桟を大きく張出す構造が発達したものと思われた。
 やや高みに立派な堂宇を持つ寺があり、町を見守っているようだ。そこから集落を見下ろすと、まさに屋根瓦に埋められた密集集落であった。














訪問日:2005.11.13 TOP 町並INDEX