豊川稲荷門前の郷愁風景

愛知県豊川市【門前町】 地図 
 
町並度 4 非俗化度 4  −全国的に有名な豊川稲荷の門前−




 豊川稲荷というと例年初詣客の多い寺社の上位に食い込む全国的に有名なところだ。稲荷というので神社と思いがちであるが正式には豊川閣妙厳寺という寺院である。
 東海義易という僧が15世紀に興した禅寺であり、祀ってある鎮守が稲穂を担い狐に跨っていることから豊川稲荷という通称が一般的な呼び名となっている。日本三大稲荷の一つとされているが、豊川稲荷は寺院であることで他とは実態が全く異なる。もっと詳述しようとすると神仏混交など複雑なことに触れないといけないためここでは割愛し、稲荷そのものを取扱ったサイト等を参照願いたい。







豊川稲荷門前の町並

 豊川稲荷は非常に格式高くまた知名度の高い寺院であり、信長や家康もあつい信仰をよせていたという。江戸期には商売繁盛や開運、家内安全などに利益があるとされ庶民にも広く信仰された。豊川村はもともと農村地帯であり、小規模な在郷町にすぎなかったが、江戸後期の天保期に稲荷が開帳されてからは各地より参拝客が集結した。この時期に門前街が形成され、現在見る町並の基礎が築かれている。
 特に参拝客の増大に貢献したのが豊川鉄道(現JR飯田線)で、国鉄豊橋駅とを結び、徐々に北に線路を伸ばしていき昭和12年には飯田(長野県)まで開通した。この鉄道は南信濃・中信濃地域の稲荷信仰の拡大、そして信仰者の輸送を担い門前町の繁栄にも大きく寄与した。大正末期には名鉄線も門前町まで乗り入れてきている。
 年間600万人もの参詣客がある門前街は活気が感じられる。私が訪ねたのは折しも初詣の時期、歩いたのは日没後と早朝のみであったが多くの客が見られ、食事処をはじめ各店舗は営業をされていた。総門前の商店街では商売繁盛の御守である熊手などが売られ、また豊川だんごや稲荷寿司などの伝統的な土産物も数多くある。門前を歩いているのだという高揚感に似たものが感じられる。
 建物も主に明治以降のものと思われる伝統的な構えの店舗が多く残り、古い町並といえる佇まいを残していた。
 



 

豊川稲荷の拝殿

訪問日:2010.01.01・02 TOP 町並INDEX