上挙母の郷愁風景

愛知県豊田市【城下町】 地図
 
町並度 5 非俗化度 7  −矢作川水運で栄えた城下町−





上挙母の町並


 三河地方中部に位置する豊田市は、いわずと知れた自動車産業の町であり企業名が市名となっている数少ない例であるが、元々は挙母(ころも)城を有する城下町であり、かつては挙母市が存在した。
 江戸時代には挙母藩のもと、矢作川中流に位置するこの土地に城が構えられていた。当初三宅氏が城主となったが、寛文4(1664)年に同氏が田原(渥美郡)へ移ると、挙母は幕府領となり城も廃止された。その後本多氏が奥州白河から入封し、陣屋を置き陣屋町を整えている。城は構えずとも城主格の大名として格付けされていたので、本多氏は引続き挙母城主と呼ばれたという。この頃に挙母七町(後に8ヶ町)が整備され、現在の町の基盤ができたといわれている。
 三河中北部では最大の町場であり、市が立ち陶器市や馬市なども開催された。
 寛延2(1749)年に本多氏と入替りに上州安中から内藤氏が入封、同氏には挙母城の再建が命じられたが、城郭が完成したのは明和5(1768)年と長期を費やした。その頃城下町は矢作川の洪水に度々見舞われ、城下の一部が西側の台地上に移転するほどであった。
 新築なった挙母城は高台にあることで、三河・信濃・美濃・尾張・伊勢・近江・伊賀の七国を見渡せるとされたことから七州城とも呼ばれた。川からは少し中心が離れたが、矢作川は災厄をもたらす一方、重要な物資流通の手段として利用されていた。生産が盛んだった綿織物、藩米の輸送も舟運により行われた。
 旧城下町のエリアには面影を残す佇まいが残っていた。特に常盤町付近には、間口の広い商家風の建物が多く見られ、城下の賑わい、水運を仲立ちにした流通の発展の残り香を見る思いがする。藩営の産物会所跡、旧町蔵などの遺構が残っているのも魅力で、各所に案内板が立てられている。
 トヨタの町に残る意外性の古い町並だ。
 
 




上挙母の町並(旧挙母藩町蔵) 常盤町の町並




常盤町の町並




常盤町の町並

訪問日:2014.11.23 TOP 町並INDEX