砥沢の郷愁風景

群馬県南牧村<産業町・街道集落> 地図 
町並度 6 非俗化度 8 −砥石の生産で一時代を築いた山間の町−







砥沢の町並(上砥沢地区)

 
 上信国境越えの街路は、現在は上信越自動車道や富岡から佐久へ抜ける国道254号あたりが主要なルートだが、南部にも数本の峠道があり古くから両国を結んでいた。南牧村を横断し佐久臼田に抜ける道もその一つで、商人や旅人の往来が多く、信州米の輸送にも使われ、米作に恵まれない西上州地域にとっては重要な道でもあった。
 村役場から西に3kmほどにある砥沢地区も、その街道に面した集落である。
 地名の通り、ここは砥石の採掘で栄えたところである。幕府領に置かれ、砥石は御用砥として重要視されており、採掘された砥石は南牧川沿いに下仁田・富岡を経て倉賀野の河岸から江戸に運ばれていた。富岡の町場も、もともとは砥石の中継地として問屋が置かれたことが発端であり、地域の経済にも波及するほどの重要な産業となっていた。採掘には砥株の保有者のみに許され、71軒の専業者の他に農業との兼務で50軒の採掘者があった。幕府は砥山の請負人に様々な特権を与える代りに、請負人は生産高に応じ幕府に運上金を納めた。
 明治11年に入って新たな鉱脈が発見され、生産量が頂点に達するなど近代に入っても賑わいは続いた。
 砥沢は街道集落としての性格もあり、南牧関所が設けられ旅人や荷の改めが行われた。信州からの米は中馬によって運び込まれ、1・4・8の日に開かれた九斎市で取引された。
 集落は旧街道の一本道に沿い展開する。山村集落ではなく宿場町的に軒が連なる家並で、山間の奥深い地にあってはちょっとした町だったのだろう。歩くと美容院や運送会社の看板を出した建物も見られるが、いずれも店は閉めている。また更地となった場所も散見され、これらに伝統的な建物が残っていればかなり見応えのある古い町並が展開していたことだろう。残された家々の中には出桁のせがい造りで、二階部に特徴のある木組の渡された姿が目立ち、それらが連続して残っていれば壮観であっただろう。
 大きく上砥沢・下砥沢地区と分けられ別々にバス停があるが家並の様子に大きな違いはない。それでも下砥沢の方がやや家々の造りが大きく、有力な商家が多かったように感じられた。
 




砥沢の町並(下砥沢地区)




砥山への案内図集落の南側(この地図は上が南を示す)に大きく砥山が広がっていたようだ

訪問日:2018.09.23 TOP 町並INDEX